あなたの人生をきっと豊かにする手紙社リスト。27回目となる音楽編は、「再びの歌謡曲」というテーマでお届けします!  まずは手紙社の部員さんが選んだ10曲、そして堀家教授のコラム、その後に堀家教授が選んだ10曲と続きます。「再び」を言い換えると「もう一度(again)」。もう一度戻りたい……もう一度輝きたい……もう一度(二度と)味わいたくない……歌謡曲の普遍的なテーマのひとつかもしれませんね。ということで今回は泣ける曲多し。名曲揃いです!






手紙社部員の「再びの歌謡曲」10選リスト


1.〈冬が来る前に〉紙ふうせん(1977)
 作詞/後藤悦治郎,作曲/浦野直,編曲/梅垣達志



フォーク全盛期に思春期が被り、ちょっとトッポイ子たちの話に首を突っ込み、まだ良くわからんくせに聴く、という背伸び感のある曲でした。歌詞よりもむしろ、メロディーが少しせつなくて好きな歌です。音楽の授業でやったギターの居残り練習の時、合唱部の子がいつもハモってくれて私はただ主旋律を気持ち良く唄う、という青春ドラマのような時間を過ごした、思い出の曲です。
(3103)



2.〈プレイバックpart2〉山口百恵(1978)
 作詞/阿木耀子,作曲/宇崎竜童,編曲/萩田光雄



母がカラオケで歌ったり、TVの特集などで聴いていた曲です。素直に考えるんじゃ面白くないなぁと思い、他の言葉で、もう一度、再びを意味する物はないかと考えてたら、ふと浮かんだのがこの曲でした。今の言葉プレイバックって言ったことをもう一度という意味だからハマるなぁと今回、ちょっと素直じゃなく捻くれた選曲でした。
(天空龍姫)



3.〈銀河鉄道999〉ゴダイゴ(1979)
 作詞/奈良橋陽子,作曲/タケカワユキヒデ,編曲/ミッキー吉野



さすがゴダイゴ、歌謡曲ランクインありがとうございます。アニメの銀河鉄道999は兄の後ろから観ていました。映画はテレビで観ました。その頃はテレビと映画の違いがわかっていなくて、知っている設定と違うことに大混乱しながら呑み込んだ気がします。あの頃、兄が自分でつくった999の定期券がめちゃくちゃ羨ましかった。歌詞はつくづく、理想の少年をイメージしてるんだろうなと思います。永遠の少年、哲郎のなかで完璧な美女メーテルは永遠に謎めいている。大好きな歌ですが、カラオケで歌えません。耳コピ英語が耳に残ってるので口が回らないのです。そういうことにしておきたい。モンキーマジックもそうですが、ゴダイゴの曲って、子どもにはちょっとだけハードル高いところがカッコよくて好きでした。だがしかし、最後の部分の英語など、容赦なく重なって流れます。リズム感ゼロのわたし、でも歌いたい、憧れの曲です。重なる英語はカラオケでどうやって歌ったら良いのか?!北島さん、ぜひ教えてください。
(まっちゃん)



4.〈もう一度〉松山千春(1980)
 作詞・作曲/松山千春,編曲/大原茂人



松山千春さんは私が中学生の頃は、髪もフサフサの爽やか系だったので、私の中ではアイドル的にちー様と呼んでせっせと聴いておりました。北海道の広大な自然の美しい曲も沢山ありますが、なぜか2時間ドラマに登場する悲劇の女性視点的な曲も多くて、中学生の私は意味をわかって聴いていたのか怪しいもんです。この「もう一度」もアルバムの収録曲で、ヒット曲では無さそうなのに、歌詞までそらで覚えていると言うことは、あの当時は相当聴いていたんでしょう。歌詞の内容はなんだか場末のバーかなんかで飲んでるちょい面倒臭そうなお姉さん目線みたいな歌詞(あなたに嫌われたら生きていけないわとか、多分今時ならウザすぎる。。。)なんですが、まだ「ちー様」のハイトーンが素直なこの頃は、見事に飲み屋のウザい女性を演じてられている一曲だと思います。
(ぬりえ)



5.〈セーラー服と機関銃〉薬師丸ひろ子(1981)
 作詞/来生えつこ,作曲/来生たかお,編曲/星勝



再び、もう一度…と聞いて、思い出したのが「セーラー服と機関銃」です。歌い出しの「さよならは別れの言葉じゃなくて 再び逢うまでの遠い約束」は青春ソングのようなフレーズでとても印象に残ります。当時高校生だった薬師丸ひろ子さんが「愛した男たちを想い出に替えて」と歌っていたことを思い出すと驚きですが、来生えつこさん、来生たかおさんならではの大人の恋愛ソングなのでしょう。薬師丸ひろ子さんは、学業が休みの期間に映画の撮影、大学受験。透明感のある合唱部のような歌唱などを含めて、かなり稀有な存在、芸能活動だったと思います。今はお母さん役やちょっとコミカルな役と幅広い演技、そしてコンサート活動も。高校生での「セーラー服と機関銃」と現在。透明感はそのままで、時を経ての「セーラー服と機関銃」は円熟味があり「愛した男たちを想い出に替えて」のフレーズも“そういうこともあったわね”的にさらりと歌いこなしていて月日の流れを感じます。
(あさ)



6.〈もう一度〉 竹内まりや(1984)
作詞・作曲/竹内まりや,編曲/山下達郎



私が小学校の時に姉の部屋から聴こえて来たこの曲。耳馴染みがいいメロディーに意味も分からず口ずさんでいました。大人になって改めて聴いてみると、パートナーに心配して欲しい、付き合いたてのような熱量が欲しくて、家出願望はあるけど踏み出せない女性の歌詞に愛らしさを感じています。いつまでも色褪せない、大好きな曲です。
(まあ)



7.〈Lucky Chanceをもう一度〉C-C-B(1985)
 作詞/松本隆,作曲/筒美京平,編曲/船山基紀



ドラムがボーカルを担当するバンドと言えば、私たち世代なら迷わずC-C-Bです。今聴くと演奏技術が確かなバンドなのですが、メンバーのお顔立ちが地味だったので、ド派手な髪の色に染め(られ)て、アイドル路線を狙ったら、逆にイロモノっぽく見られてたのではないでしょうか?のちにSMAP×SMAPでもネタにされていましたよね。この曲とは別に有名な代表曲があるのですが、こちらも名曲。全体的に切ない雰囲気の曲調は、ライター陣を確認して納得できました。ところで私は神奈川県の片田舎に育ちましたが、中学生のときに地元の市民会館に全盛期のC-C-Bがコンサートに来ました。チェッカーズやジャニーズ好きな子もこぞって観に行っていましたね。私は親も厳しく、行ける立場ではなかったのですが、羨ましかったのは確かです。この曲調の切ない感じと当時の気持ちが重なりました。
(手芸愛好家)



8.〈hello, again〜昔からある場所〜〉my little lover(1995)
 作詞/KATE,作曲/藤井謙二,小林武史,編曲/小林武史,MY LITTLE LOVER



マイラバ、の略称で20〜25年前くらいかな? 人気ありましたねー。これは私が高校の時でした。カラオケで、ある女友達が「ウチの『持ち歌』やから誰も歌ったらアカンでー」と主張していた曲です。誰か歌おうものならば、彼女はその場で大号泣してしまう、、、という曰く付き(笑)の曲です。忘れられん! 忘れるわけがない!!誰が歌ってもエエがな、、、と、いつも心の中でツッコミを入れておりました。良い子は学校の帰りにカラオケに寄り道しちゃイカンよ(笑)。どうしてるかなぁ、よっちゃん。元気かい?
(ゆうこスティーブ)



9.〈アゲイン2〉ゆず(2002)
 作詞・作曲/北川悠仁



この曲は、ゆずの2人がストリートミュージシャンからデビューをして、自分たちの作りたい曲と求められている『ゆず』像、やりたいこととできないこと…という様々なすれ違いに悩み、苦しんでいた時を経てできたもので、曲のタイトルも『再出発』『原点回帰』という思いを込めている、と聞いたことがあります。歌詞の中にある、『泥だらけの靴』『ひび割れてるグラス』は、汚れたり傷ついたりした自分も全部大切な『自分自身』、そのままで大丈夫、と思いを込めていることが歌詞からも感じられて、悩み、傷ついて、立ち止まることがあっても、きっとまた歩き出せる力が必ずある、と語りかけてくれるようだなぁ、と感じます。背中を強く押してくれる、大好きな一曲です。ちなみに、アゲイン『2』とあるように、これにはアゲイン、という最初に作られた原曲が存在します。メロディラインが所々同じなのですが、歌詞やテンポ感は隣でそっと寄り添って応援してくれるような印象で、こちらも大好きな曲です(音源化されてますので、ぜひ聴いてみてください!!)。
(しまえなが)



10.〈再生〉Perfume(2019)
 作詞・作曲・編曲/中田ヤスタカ



テーマを聞いて真っ先に思い浮かんだのがこの曲でした。イントロのキラキラ音や歌詞を聴くと自然とパワーが湧いて元気をもらえる1曲です。この曲のMVでは、メジャーデビュー15周年にちなんで過去のPerfumeも一緒にこの曲を歌っているように口の動きがシンクロした演出になっています。この映像は、それまでにリリースした楽曲全てのMVをリップシンクするように再生成しているのだとか。このMVを見て、気になるPerfumeの曲を探し、再生してみるのも楽しそうですね。
(ひーちゃん)






再びの歌謡曲


「再び逢うまでの遠い約束」

年度替わりを控えるこの時期、別れの季節から出会いの季節へと春の身分は推移していきます。厳しかった冬の寒さが弱まり穏やかな春の温もりが強まるなか、湿気を含んだ柔和な陽射しに新しい出会いの訪れを予感しつつ、けれどときとしてひとは、かつてそのように出会ってきたはずの知己との避けがたい別れを惜しみ、来たるべき新しい出会いでは埋めようもない欠如を、欠落を春に覚えます。


そこには、これまで持続してきた安定的な状態の変化が、切断があります。その断面として残された傷痕、その露骨な裂け目を繕うように、場合によってはほとんど叶うことも見込めない再会の約束をひとは交わし、別れていきます。


「離れ」ることで「守れない」ような「約束」なら「しないほうがいい」、そう謳ったのは斉藤由貴の〈卒業〉(1985)でした。「差し出」された「小指」が契る「未来」など、「セーラーの薄いスカーフ」をもって「結」ぶがごとき脆さで容易に反故にされてしまうのだから、なるほど「それは嘘では無い」としても、「過ぎる季節に流され」た誰もがもう「逢えないこと」もどこかで覚悟せずにはいられません。



「卒業して」しまえば「今までどおりに」は「会え」なくなってしまう「春」の残酷さを、柏原芳恵の〈春なのに〉(1983)は「涙」や「ため息」といった演歌的な語彙の湿度で象ります。つまりここでは、「涙」や「ため息」が「春」の温もりにふさわしい湿気をあたりに拡散させているのであり、「記念」としてねだられ、「青い空」に向けて「投げ」られる「胸のボタン」もまた、そうした湿気が結晶化したものにちがいありません。



換言すれば、もはや「さよなら」さえが「別れの言葉じゃなくて」、むしろ実現を諦めることによって「再び逢うまで」その効用を担保される「遠い約束」となります。薬師丸ひろ子の歌唱による〈セーラー服と機関銃〉(1981)が、「夢」を過去のものとしたいま、ここに「未練残しても」きっと「心寒いだけ」だと強弁するとき、いかにもか細く心許ない、このあるかなきかの紐帯は、それでもなお「希望」であり「かがやき」となって、「君」の行方を支えつづけます。要するにそれは、「再び逢う」ことが実現されてはじめて帰納的かつ遡及的に「約束」として機能する「別れの言葉」なのです。


伊藤つかさによる〈もう一度逢えますか〉(1982)の場合、「うしろ姿」で「消えていった」もの、それは「あなた」への「恋」でした。ここで失われたものへの「さびしさ」が呟いた「もう一度逢えますか」のフレーズは、すでにそれが「消えて」しまったがゆえに、ほかならない別れのことばそのものとして響きます。他方でこの喪失は、「私」のことを「大人にする」契機ともなります。「いつの日か」きっと「大人」となった彼女は、「あなた」はおろか、この「雨の出来事」における「15才」の「私」とさえ「もう一度逢」うことは叶わないでしょう。


「もう一度だけ」

にもかかわらず、これまで歌謡曲は、いったいどれほど“もう一度”をせがんできたことか。そしてそれにあわせて、さまざまなものごとがねだられてきました。


ここで言及されるのは、失われた空間であり、時間であり、“愛”の名のもとにそのなかで維持されていた人間的な関係性です。


それでもなお、かつては自ら管理しきれなかった粗野にして奔放な自身の歌唱が、こうして否応なく落ち着く破目に至ったからには、逆にこれを契機として、彼女はしたたかにもアイドルから歌手へと態度の比重を推移させていきます。


ザ・スパイダースは、シングル盤〈あの時君は若かった〉(1968)のB面に、ビーチボーイズ調のバラード〈もう一度 もう一度〉(1968)を井上順の歌唱で収録しています。ここで「もう一度、もう一度、もう一度」と請願されるもの、それは「君のやさしい愛」であり、「君のやさしい口づけ」です。


加藤和彦と北山修の〈あの素晴しい愛をもう一度〉(1971)では、タイトルが直截に披露しているように、「今はもう通わな」くなってしまった「二人」がかつて「心と心」で象っていた、「変らない」はずの「あの素晴しい愛」が求められています。



〈あなた〉(1973)の大ヒットにつづいて小坂明子が発表したシングル盤〈もう一度〉(1974)は、「笑顔見せて」、「声を聞かせて」、さらには「私を見つめて」、「だきしめて」などと、矢継ぎ早に「私」から「あなた」への願いごとを列挙します。にもかかわらず、これらが実現される機会はけっして訪れません。というのも、すでに「あなた」は「星になって」しまったからです。



松山千春が伊東ゆかりに提供し、自らの歌声でも吹き込んだ〈もう一度〉(1980)は、「ごめんなさいで終る恋」のまぎわにあって、「あなた」に「煙草くらせながら」まさに「何か云おうと」させます。たとえば「さよなら」かもしれないそのことばを待ちながら、「もう一度だけ」と強調する「私」は、「あなたの腕に」ただ「甘えて見たい」と望みます。


趙容弼が〈釜山港へ帰れ〉(1982)の旋律に日本語の歌詞を載せて唸るとき、「もいちど」と願ってみせたのは、「あなた」の「あついその胸に顔うずめ」たうえで、さらにこの「幸せ」を「咬みしめること」でした。



竹内まりやは、〈もう一度〉(1984)における自作の歌詞のなかに“もう一度”とは書き込んでいません。かろうじて「Let’s try again」の英語句が、「私を変えて」しまった「重ねた時」をいったん払拭し、「すれ違いの愛」ゆえに「失った言葉」を「よみがえ」らせること、つまりは「このまま」で「あなたのそば」から「離れずに」、「輝いていた頃の私に」ここで「再び戻って」やりなおすことへの決意を共有すべく、「あなた」もいっしょに努めるよう要請します。


原由子が歌唱を担当したSOUTHERN ALL STARSの〈鎌倉物語〉(1985)にせよ、桑田佳祐が担当したSouthern All Starsの〈涙のキッス〉(1992)にせよ、「もう一度」をねだられるもの、それは、「くちづけ」であれ、あるいは「涙のキッス」や「最後のキッス」であれ、ともに「彼」や「君」との口唇同士の接触であることにちがいはありません。



大西ユカリと新世界による〈「県警対組織暴力」をもう一度〉(2006)のタイトルは、「東映」の実録路線にもとづくヤクザ映画『県警対組織暴力』(1975)を引用するばかりでなく、荒井由実がバン・バンに提供した〈『いちご白書』をもう一度〉(1975)の枠組みをあからさまに再利用しています。


「また逢う日まで」

まさしく「また逢う日まで」の挨拶からはじまる、“再びの歌謡曲”の最高傑作といって過言ではない尾崎紀世彦の〈また逢う日まで〉(1971)は、1970年度の年度末、その3月5日に発売されています。いわばこれは、単に1960年代への送辞であるばかりか、さまざまな犠牲のもと一心不乱に高度経済成長を達成してきた日本の戦後に区切りをつけ、そのありように郷愁とわだかまりを手向ける餞別のことばとなります。



「別れのそのわけ」を「話」すことさえしなければ「互いに傷つ」くことも「すべてをなくす」こともなく「また逢える」だろう、そう確信する語り手は、事実、「あなた」にも「心」のうちでだけ「何かを話す」ことを望み、声を発する機会を与えようとしません。きっとそれは、「あなた」の声の現前が、すでに「ふたり」のあいだに生じてしまった切断を如実に露呈させ、彼を「昨日にもど」してしまうからです。


いまはただ、この切断から目を背け、その断面から顔を逸らし、あるいはむしろ耳を塞いで、もっぱら明日の方向へと、「また逢う日」へと、それぞれの仕方で歩んでいくこと。


なるほど、このとき「ふたりで」ともに「しめ」た「ドア」は、ここまで持続し、編まれてきた彼らの時間の断面にほかなりません。しかしながら、そこに記入されていた「ふたり」の「名前」はすでに「消」され、潜在する別の持続を実現する入り口としてすでに誰かを待っています。


いったんそれぞれの仕方で歩きはじめた「ふたり」の行方に、つまるところ「ふたり」が「また逢う日」に、ここで「しめ」られた「ドア」は再び開かれ、「消」されてしまった「名前」もまた、なにごともなかったかのようにあらためて記入される機会が訪れるのかもしれません。


しかしながら、そのように再び「ふたり」で「逢える時」、無記名のまま宙吊りにされていた「あなた」は、いったいかつてのあなたとの同一性を維持しているでしょうか。


おそらくそうではいられません。そしてそれだからこそ、再び「逢える時まで」のあいだ、「あなたは何処にいて」そこで「何をしてるの」か、語り手は「知りたく」も「ききたく」も「ない」わけです。


ところで、〈また逢う日まで〉は、ズー・ニー・ヴーが発表した〈ひとりの悲しみ〉(1970)の歌詞を、当の作詞家だった阿久悠が書き換えて尾崎紀世彦の歌唱のもとあらためて録音された、この意味でも文字どおり“再びの歌謡曲”です。その限りにおいて、互いの楽曲の生成論的な比較は許容されるべきでしょう。


「see you again」

「明日が見える」と綴られはじめた〈ひとりの悲しみ〉の歌詞は、「背のびをしてみても」ほとんど「何も見えない」まま、けれど最後まで「その時二人は何かを見るだろう」と信じ、視野の展望の共有に楽観的でした。そのぶん、それは高度経済成長期の幻影を引きずりながら、旧態依然とした「二人」の関係性を期待していたともいえます。


ここで孤独の質をめぐって「一人」と「ひとり」を慎重に分別していたはずの阿久悠は、結局のところ「ひとりの悲しみ」もまた、「二人」のありよう次第で克服されうる、「一人」とおよそ同質の相対的な孤独に落着させてしまったわけです。


〈また逢う日まで〉は、そうして「二人」でいてもけっして克服されなかった〈ひとりの悲しみ〉を、「なぜかさみし」く「なぜかむなしいだけ」の絶対的な孤独として「ふたり」がそれぞれに抱え、ともに「別れ」ていくその後日談、いわば旧態依然とした体制を刷新するための再びの、再生の符牒です。こののち「また逢う日」が、もう一度「逢える時」が訪れようが訪れまいが、ここで「ふたりでドアをしめ」、「ふたりで名前消し」た瞬間から、彼らは別の持続をそれぞれに生きはじめているのです。


「君のこと見れない」期間について、高野寛は〈See You Again〉(1989)で「もうしばらく」のあいだだとみつもります。「レールのように流れている」この「2年」の歳月のあと、「お互いの所有物(もの)」じゃない」がゆえに尊重されてきた「君」と「僕」との「レールのように離れてい」た関係性が、しかし「今」は「レールのように離れてゆ」こうとしています。


「嫌いだからじゃない」と騙り、「好きだから」こそ「いつも会ったりはしない」でいようと「君」に嘯く「僕」は、「久しぶりの君」に「会」えばまた「きっときれい」に思えるはずだと胸中を吐露することによって、まさに「君」から「レールのように離れてゆ」こうとしているその「気持ち」を、「心」を、おそらくは不可能な「see you again」の挨拶で糊塗します。


実際に、my little loverによる〈hello, again〉(1995)では、「痛む心に」も「気が付かずに」そのまま「あの時」から「時は過ぎ」、いつか「一人になっ」てしまった「僕」が、「今も」なお脳裏に「彷徨」いつづける「愛」の「影」を「君の声」として「胸に響」かせずにはいません。


しかも彼は、あの「遠い昔からある場所」、あの「どこかでまた」、きっと彼女と「めぐ」り逢うものと信じているようです。ただしその「場所」とは、おそらく外部としての死とともに、もしくは死そのものとしてあります。この、「限界」や「果て」で囲われうる相対的な距離とはまったく異なる「遠」さの位相、いわば根源的な「場所」で再会するまで、もっぱら「記憶の中で」のみ、彼らは「ずっと二人」で「生きて行」くよりほかないわけです。


「お帰り! ただいま!」

日本の歌謡界において人気絶頂のなか、アグネス・チャンは、在籍していた上智大学からトロント大学への編入留学のためカナダに渡航しました。あの時代、女性アイドル歌手がファンの熱烈な支持を置き去りに芸能活動を休止し、年単位でこれを中断することは、ほとんど引退を意味しました。ファンの側もまた彼女の不在のあいだに相応に成長し、崇拝の対象を欠いた彼らの熱狂はたちまち冷めてしまうからです。


生誕地の香港ですでに歌手としてデビューしていた彼女は、平尾昌晃に発掘され、日本には森田公一の作曲による〈ひなげしの花〉(1972)で女性アイドルとして登場します。森田や平尾、井上忠夫らが担当したシングル盤の秀逸さもあいまって人気は上昇し、その余勢を駆って松本隆や荒井由実を楽曲の作家に迎えた彼女は、キャラメル・ママら錚々たる面々を演奏にしたがえることにより、その音楽性をいよいよアイドルからアーティストの領域へと浸透させていきます。



この留学を、どうせならそうした脱皮を試みるひとつの転機としたかった周囲の打算もあったかもしれません。ただし、少なくとも彼女にとっては、芸能人である以前にひとりの成人たらんとする自身の人生哲学と将来をみすえた英断だったとはいえ、のちの芸能活動への復帰をなんら保証されてはおらず、復帰したところで以前のような脚光と喝采を浴びることは困難に思われました。


このことへの懸念からか、離日した当日に発売され、まさしく彼女の置き土産となった〈夢をください〉(1976)はもとより、留学期間中に発表された3枚のシングル盤にも、当初は〈心に翼を下さい〉(1977)や〈いつまでも変わらずに〉(1977)、〈少し待ってて〉(1977)などと、未練がましい懇願がA面やB面のタイトルに謳われています。



やはりこの期間に発売された《また逢う日まで》(1976)は、テレビでも放送された、留学直前の彼女の日本でのコンサートの模様を収録したアルバム盤です。


やがて無事にトロント大学を卒業したアグネス・チャンは、それでも生誕地の香港ではなく日本に戻り、芸能活動を再開します。松本隆の作詞、吉田拓郎の作曲をもって、彼女の聴衆に、その不在のあいだの機嫌をうかがうべく発表されたシングル盤〈アゲイン〉(1978)は、「私」の帰還を出迎える「お帰り!」の挨拶から歌唱がはじまります。



これに呼応する「ただいま!」の「軽い会釈のあ」とで、「何処に行って来たの」と問われ、「レンガの色の学生街よ」と応じる「私」には、再会を喜ぶ「あなた」に「ひとつ聞けない言葉があ」ります。「アゲイン・アゲインもう一度」の繰り返しがそれです。とともに、「あなた両手広げ受け止めてくれますか」と真意が披瀝されます。


さらに、「ひとつ気がかり心にある」とも綴られた歌詞は、やはり「アゲイン・アゲインもう一度」の繰り返しを受けて、「君を待つよ」などと「あの日あなた言った約束は生きてるの」、今度はそう尋ねたうえで、最終的には「振り出しに戻りたい」と訴えます。


しかしながら、この訴えの主語は、「私」でもその「心」でもなく、あくまでも「私たちの心」です。


「私」が「私たちの心」を「振り出しに戻」したいわけですらありません。そこでは「私たちの心」が主体的に「振り出しに戻りたい」のです。


アグネス・チャンの専売特許である舌足らずな日本語の運用能力を利用し、助詞を省略したここでの修辞は、彼女の帰還を待ち詫びた聴衆に対して、彼女自身に「あなた」と呼びかけられた彼らを含む「私たちの心」こそがいまや渾然一体となり、もろとも「振り出しに戻りた」がっているものと唆し、とうに失われた不可能な幻影のかたちを、あの「愛」の名のもとに「もう一度」投射しようとしています。


 


 

私の「再びの歌謡曲」10選リスト


1.〈もう一度〉伊東ゆかり(1980)
 作詞・作曲/松山千春,編曲/後藤次利

 

 

松山千春が他の歌手に書き下ろした楽曲は、たとえば谷村新司やさだまさし、あるいは中島みゆきの場合を考慮すれば、おそらく極端に少ない。だがこのことがソングライターとしての彼の能力とほとんど無縁の事態であることは、伊東ゆかりに提供され、丸山圭子を想起させるボサノバ調に編まれたこの楽曲を一聴すれば明白である。いわゆる職業作曲家の筆による歌謡曲の秀作と比してなんら遜色のないここでは、その端的な表現にソングライターとしての彼の才覚や器用さを味わうことができる。本人の歌唱で吹き込まれた版は《浪漫》に収録。



2.〈君のハートはマリンブルー〉杉山清貴&オメガトライブ(1984)
 作詞/康珍化,作曲・編曲/林哲司



すでに1970年代半ばにはシティ・ミュージックとして胎動していた新しい音楽の潮流を、シティ・ポップ(ス)と呼称されるまでに大衆化した作曲家として、林哲司ほどその真髄を体現しえたものはいまい。仮に、松原みきの〈真夜中のドア〉や竹内まりやの〈SEPTEMBER〉がなければ、シティ・ミュージックは依然としてシティ・ミュージックのまま、のちにみられるようにはポップ化することはけっしてなかっただろうし、また昨今の海外でのシティ・ポップ受容といった現象もありえない未来だっただろう。上田正樹の〈悲しい色やね〉や杏里の〈悲しみがとまらない〉に支持されたその大衆化は、とりわけ杉山清貴&オメガトライブおよび菊池桃子に関する一連のプロジェクトをもって最高潮を迎え、それにともなって通俗化する。バンドの体裁を装った前者とアイドル歌手の後者には、互いの楽曲のあいだで音響の次元に相違はほとんどなく、その音楽的な世界観はほとんど完全に交換可能である。唯一、作詞家に康珍化を据えた前者に対して、後者は秋元康に活躍の場を与え、差違の創出はことばに委ねられていた。このことは、音響面でのプロデュースも含む林の作風が、大橋純子との協働以来ほとんど唯一の方法論しか持たなかったことを意味する。しかしその強靭な単調さこそが、彼をシティ・ポップ(ス)の核心とした当のものであって、それゆえその魅力は、たとえば杉山清貴&オメガトライブのこの楽曲にも正当に反映されている。



3.〈鎌倉物語〉SOUTHERN ALL STARS(1985)
 作詞・作曲/桑田佳祐,編曲/SOUTHERN ALL STARS,大谷幸



《kamakura》所収。1990年に公開され、目下のところ唯一の監督作品となる映画『稲村ジェーン』では、桑田佳祐は稲村ヶ崎など具体的な地名に拘泥するあまり“湘南”の語を敵視してみせたものの、結局のところその理由を画面上に観ることはできなかった。これに先んじて、バンドが原由子の出産のため活動休止する区切りとして発表されたこの大作アルバムで、高校時代に通った鎌倉をすでに着想源とした彼は、しかしたとえば産休中の寝台上で原が歌唱を吹き込んだというこの楽曲においても、固有名詞として「江の電」とともになぜか葉山の「日影茶屋」を引き、むしろ彼のなかの“湘南”性の如何を証言する。サウンドの電子化を携えつつ、〈Bye Bye My Love〉〈メロディ〉から、KUWATA BANDやソロ活動での傑作シングル曲群を経由して〈さよならベイビー〉へ、そしてついに〈真夏の果実〉にまで到達する桑田佳祐の、信じがたいほど刺激的で生産的だった歴史的な一時期の、愛らしい佳曲。



4.〈I Feel Coke ’87〉佐藤竹善(1987/2005)
 作詞/溝口俊哉,遠崎真一,作曲/井上大輔,編曲/David Immer,Bobby Alessi

 

 

バブル経済は、まさにこの炭酸飲料の泡のごとく、その器から過剰なまでに勢いよくほとばしり、零れ、誰もがこれを口にせんと慌てふためくうちに、それを味わうまもなく内容物は瞬時に瓶を空にした。にもかかわらず、たとえ幻想だったとしてもこの飲料の爽快さを、あの清涼感を無邪気に信じることができたとすれば、それは、松本孝美をはじめとするCM映像の出演者たちの笑顔、井上大輔がCM音楽として綴った旋律、そしていうまでもなく佐藤竹善の歌声によるものだろう。《Coca-Cola Commercial Songs 1962-89》に収録。



5.〈GET BACK IN LOVE〉山下達郎(1988)
 作詞・作曲・編曲/山下達郎

 

 

山下達郎の作品のなかでも、〈クリスマス・イブ〉とともにもっともわかりやすい楽曲であることは疑いない。鎌倉を舞台にしたドラマの主題歌に採用され、それゆえある種の妥協の産物とも思えたが、しかし実際には本人の明確な意志のもとに書かれたバラードだという。実際、7thコード、とりわけmaj7の響きを多用し、要所にsus4を配するなど、パターン化された単純なコード進行とは一線を画しながら、それでもなお、キャッチーなサビの旋律と明瞭な曲構造とでわかりやすくドラマの視聴者に訴える手練は非凡である。



6.〈See You Again〉高野寛(1988)
 作詞・作曲/高野寛,編曲/高橋幸宏,高野寛



このシングル盤が公式に発売され、正式なデビューを飾る前に配布されたものと思しき非売品の見本盤の歌詞カードでは、「久しぶりの君」なら「きっときれい」だろうと無責任に繰り返されていることが確認できる。ところが、実際に発売された盤では、その繰り返しは「とてもきれい」で「とてもすてき」だと確信するようなものいいへと置換され、単なる別れの挨拶ではなく、実現可能な約束として「see you again」のフレーズに望みを託す方向で「you & me」の将来は相応に担保される。他方で、唯一ここで響くビートルズ的なⅥ♭maj7がその雲行きの怪訝さを示唆し、さらにⅣonⅤを介して奏でられるⅣmaj7がその結末を不透明なまま宙吊りにする。



7.〈愛は勝つ〉KAN(1990)
 作詞・作曲/KAN,編曲/小林信吾,KAN



KANの不幸はその早世にはない。そうではなく、けっして彼の最高傑作ではなかったはずのこの楽曲の大ヒットによって彼の音楽性がすでに表現し尽くされてしまったものと早合点され、多くの潜在的な聴衆を喪失せずにはいられなかったことにある。



8.〈「県警対組織暴力」をもう一度〉大西ユカリと新世界(2006)
 作詞・作曲・編曲/林扇背

 

 

アルバム盤《おんなのうた》に収録。タイトルのみならず、歌詞の枠組みも荒井由実がバン・バンに提供した〈『いちご白書』をもう一度〉の設定を前提したそのパロディ。「学生集会」にも「時々出かけ」ていた「僕」の「無精ヒゲ」と「のばし」た「髪」が「就職」のため整えられ、また「街角のポスター」も「雨に破れかけ」ているあたりに学生運動の失調を偲んでみせるこの楽曲に対して、「アンタ」と「二人」して「アカよりもましと励ましあ」う大西は、本歌を揶揄して相対化する。『いちご白書』ならぬ「東映」の映画作品『県警対組織暴力』が「かかってる」そこでは、出演者の「松方弘樹」や「菅原文太」、監督の「深作欣二」ばかりか、「脚本の人」である「笠原和夫」の名前さえ引用され、映画館の屋号「新世界東映」を紹介する体裁でバンド名「新世界」が忍び込む。歌詞のみならず、音響も「東映」の任侠映画以来のあの音楽のつくり。加えて、鶴田浩二の「総長賭博」と梶芽衣子の「さそり」を「併映」するあたり、いかにも大阪らしくサービス満点、お得感満載。



9.〈帰りたくなったよ〉いきものがかり(2008)
 作詞・作曲/水野良樹,編曲/島田昌典



いきものがかり一世一代の傑作。歌謡曲の原点といっていい二村定一と佐藤千夜子による〈あほ空〉の榎本健一の版を現代的に翻案し、展開させたような、時間も時代も超える温もりと痛み。その意味において、これは歌謡曲の王道であり正統であり、その生粋の精髄である。



10.〈La Vita é Bella〉佐野元春 & THE COYOTE BAND(2012)
 作詞・作曲・編曲/佐野元春



東日本大震災による困難の余韻のなか発表され、ロベルト・ベニーニ監督作品の原題から採られたものと思しきタイトルを掲げるこの楽曲は、まさしく「生きる歓び」を謳う。「荒れ狂った嵐」を「くぐりぬけ」、まるで「打ち上げられた魚のように」、「どうにか」して「ここまでたどりついた」私たちにも、なるほど「生きる」ための「理由はない」。にもかかわらず、「生き」ている「誰に」でも「朝」は平等に「訪れる」。むしろそれが「生き」ているということであり、だからこそ、死ぬための「理由」も私たちには「ない」のである。その「朝の景色」が、「夏の海」の「水面」に「こぼれ」る「光」が、「理由」ではなく「歓び」として「生きる」ことを肯定する。かつて「約束」を「いつまでも」ずっと「あきらめない」でいられる「まごころ」を、これを「信じる心」を携えながら、いずれ「愛の謎が解け」るものと期待していた〈SOMEDAY〉の「若すぎ」た佐野元春は、そうして「愛の意味を知れば知るほど」に、いま「ここ」でそれを「もう一度信じてもいいか、迷」いを吐露する。新型コロナ禍を経験してなお憂いの多い今日、佐野元春の「迷い」は、無根拠な世界への諦念とともに真摯に人生と対峙する「歓び」に満ちている。



番外_1.〈ever since〉松田聖子,SAYAKA(2002)
 作詞/SAYAKA,作曲/奥田俊作,編曲/松岡モトキ



my little loverの〈hello, again〉が言及した「昔からある遠い場所」について、それが「遠くじゃなく」て「案外近くにある」ような「何でもない場所」にほかならないことを喝破したSAYAKAは、だからこそそれに「気づくことができるように」、いつも「どんなものに」も「耳をすまして歩く」ことの肝要さを認識していた。しかしあまりに鋭敏な感性にとってはそれは、おそらく「光」がそのまま「”夜”」すなわち闇であるような根源的な「場所」、初源的な時間への扉ともなって、ときとして「前だけを見」ながら「進んでい」く決意をつまづかせ、「明日」に向かって「生きていこうと思う」意志をくじく逸脱を唆す。



番外_2.〈Hard Times Come Again No More〉矢野顕子(1989)
 作詞・作曲/Stephen Foster

 

 

ボブ・ディランも歌ったフォスターの楽曲だが、これを完全に自家薬籠中とした矢野顕子の歌声とピアノの音色は、神仏に依存する宗教性を捨象した普遍的な祈りと救いとなって宇宙に響く。《welcome back》所収。








文:堀家敬嗣(山口大学国際総合科学部教授)
興味の中心は「湘南」。大学入学のため上京し、のちの手紙社社長と出会って35年。そのころから転々と「湘南」各地に居住。職に就き、いったん「湘南」を離れるも、なぜか手紙社設立と機を合わせるように、再び「湘南」に。以後、時代をさきどる二拠点生活に突入。いつもイメージの正体について思案中。