あなたの人生をきっと豊かにする手紙社リスト。25回目となる音楽編は、『はなのいろはうつりにけりな歌謡曲』というテーマでお届けします!  まずは手紙社の部員さんが選んだ10曲、そして堀家教授のコラム、その後に堀家教授が選んだ10曲と続きます。さあ、部員さんと堀家教授が選んだ、「花」にまつわる歌謡曲は!?






手紙社部員の「はなのいろはうつりにけりな歌謡曲」10選リスト


1.〈サルビアの花〉早川義夫(1969)
 作詞/相沢靖子,作曲/早川義夫


https://open.spotify.com/track/4Mlnv1pObGRerJNW9qO2vC?si=efc70e9028814804

サルビアというと赤というか、紅のイメージがあります。そんな鮮やかな花を、想い人の部屋の投げ入れたいという、ロマンチックな三連符で始まるこの曲。でもだんだん曲調が怪しくなり、想い人はほかの男性と結婚してしまいます。教会から出てきた花嫁の顔はこわばっていて、この結婚が不本意なのでしょうか? まだお見合い結婚などが多い時代の歌ですね。愛し合った二人が結ばれないこともあったでしょう。いや、しかし令和の今聴くと、、、ストーカーの妄想の曲にしか聞こえないのですが。サルビアの紅い花をしきつめたベッドで、相手を死ぬまで抱きしめることをいつも思っていた。狂気しかありません。そして、この主人公に、結婚式まで追いかけられた花嫁の顔は、完全にひきつっています。でもこの曲が共感を得らえるのは、「僕の愛のほうがすてきなのに」という、フラれた人間にありがちな発想を、サルビアの狂気の中に置いて、浮かび上がらせているからだと思います。この曲を聴いてからX Japanの「紅」を聴くと、不良って素直だなーと思えますよ。
(手芸部部長)



2.〈君のコスモス〉ヤング101(1973)
 作詞/岩谷時子,作曲・編曲/宮川泰



NHKの懐かしの歌番組といえば「レッツゴーヤング」が有名ですが、もとは その時間帯に 40人ほどのメンバーが歌って踊る「ステージ101」という素晴らしい歌番組がやっていました。当時、ずいぶんと子供だった私は 「うたのお兄さん」でもあった田中星児さんに夢中で、母といっしょに観るこの番組を 毎週楽しみにしておりました。私の記憶の中では、コスモスが咲くステージで 、田中星児さんが男性ボーカルを歌っていた回が鮮明ですが、メンバーには 太田裕美さんや谷山浩子さんもいたとつい先日知りました。子供の頃に聴いた歌なのに、ずっとずっと覚えている 大好きな一曲です。
(KYOKO@かき氷)



3.〈この季節が変われば〉かぐや姫(1974)
 作詞/伊勢正三,作曲/山田つぐと,編曲/木田高介


https://open.spotify.com/track/4bskWUsWuEBWB07F1tzIyD?si=8297b50f3f894b69

イェーイ!みなさんにかぐや姫お届けできるだけで嬉しいでーす!夏休み丸々祖母の家に預けられていた私、歳上いとこの部屋で古いカセットテープの山を発見しまして、夢中になったのが「かぐや姫」でした。おいちゃん、パンダさん、正やん、3人のフォークにどどまらない音楽。全員が創作もリードボーカルもやれちゃう。もはやKing Gnuか?かぐや姫か?ってことです。ぜひシングルではなく、アルバムで聴いてみて欲しい。作詞担当が多かった正やんも、おいちゃんの命令で作曲し、名曲を残してます。おいちゃん、ありがとう!かぐや姫も、風も、ファンが熱狂してる時にさっと活動停止してしまいましたが、よく正やんがこんな感じのこと言ってました。「切り替えや転身とは違うんだよね、螺旋階段を登る様にじっくりと歩いていって、下を見ると位置は変わってないのが僕はいい。はじめの素直なのから。」ああ、なんかいいなぁ、はっきりとは言葉にできない気持ちカタチにしてくれるなぁ、と思います、楽曲もそうなんですよね。2023年、なんと正やん、デビュー50周年。LIVEもありますよー!さて、曲の解説は教授に丸投げですが、皆様お気づきでしょうか?教授のお声は正やんにクリソツです!最初にお聞きした時からゾクリとしました。心臓に素手で触られるような声です。ゾクゾクです。教授〜!なま歌、一曲お願いしたいです!
(青い分度器)



4.〈やさしさに包まれたなら〉荒井由実(1974)
 作詞・作曲/荒井由実,編曲/松任谷正隆


https://open.spotify.com/track/3CtnuBSfdpoxHglOGGPgmU?si=727b715ad3514995

気が付けばいつも身近にあったユーミンの名曲です。くちなしの香りや、窓から差し込む木漏れ日。子供の頃に感じた眩いほどの感動は、大人になっていく月日のうつろいの中で忘れてしまうかもしれない。でも、記憶の箱を開ければ、きっと、いつだってささやかなやさしさという奇跡に包まれていると感じられるようになる。今、「小確幸」という言葉が話題になっているけど、ユーミンはずっとずっと、そのメッセージを送ってくれていたんだなと思い、またこの曲が特別なものになりました。
(ハルツムギ)



5.〈薔薇は美しく散る〉鈴木宏子(1979)
 作詞/山上路夫,作曲・編曲/馬飼野康二



花に纏わる曲という事で自分の好きなジャンル(アニソン)にも良い曲が沢山あるので選出してみました。ベルサイユのばらOP楽曲で御座います!美しく気高く生きるオスカルをイメージした歌詞が素敵な一曲。最後に入るアンドレの「ジュテーム、オスカル」と台詞が入るのも印象的で良き、そして物真似するのも楽しんでました。
(龍姫)



6.〈チェリーブラッサム〉 松田聖子(1981)
 作詞/三浦徳子,作曲/財津和夫,編曲/大村雅朗


https://open.spotify.com/track/2d3H9E4Ui64MvyZFvsmAzY?si=eb18722e399045ae

聖子ちゃんカット、衣装、振り付け。アイドル街道まっしぐら!の松田聖子さん。聖子ちゃんは、この『チェリーブラッサム』をあまり好きでなく、歌うことをためらっていたとか。でも、こうしてのびやかに歌い上げる歌唱はさすがです!アイドルにアーティストが曲を提供するのが始まったのはこの頃からでしょうか?財津さんのメロディーに三浦さんの回りくどくないストレートな言葉が乗っていて、とても心地いいです。大村さんのお名前を知ってはいましたが、『青い珊瑚礁』からアレンジャーとして関わっていたのですね。この3人がタッグを組み、咲かせた『チェリーブラッサム』は、松田聖子という“花”を見事に表現したように思います。
(あさ)



7.〈花の色〉渡辺典子(1984)
 作詞/三浦徳子,作曲/財津和夫,編曲/大谷和夫



薬師丸ひろ子さん、原田知世さんとともに「角川三人娘」のひとりだったのが渡辺典子さん。この曲は今回のタイトルを見て浮かびました。フルコーラス聴くと実は不倫の歌だったのかなあと考えてしまいます。調べたところ、ホリプロタレントスカウトキャラバンに九州地区代表として決勝進出していたことを知りました。この時のグランプリが堀ちえみさんだそうです。
(れでぃけっと)



8.〈情熱の薔薇〉THE BLUE HEARTS(1990)
 作詞・作曲/甲本ヒロト,編曲/THE BLUE HEARTS



小野小町の9番歌に歌い出しの歌詞が似ている気がしました、真赤な薔薇の曲です。初めて聞いた時、歌詞の力強さに感動したのを今でも覚えています。北島家ラジオで初めて”小確幸”という言葉を知った時も、この曲が思い浮かびました。小さな幸せを集めつつ、不幸せを小さくしてゆくような気の持ち方。作詞作曲の甲本ヒロトさんは言っています。 ”幸せを手に入れるんじゃない。 幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ。”生活や環境の変化に諸行無常を感じつつも、涙ではなく水をあげて薔薇を咲かせてゆく推進力。心の支えになる大好きな曲です。
(いと)



9.〈紅い花〉ちあきなおみ(1991)
 作詞/松原史明,作曲/杉本真人,編曲/倉田信雄



石井隆監督の映画『GONIN』の中で流れる曲として知りました。「紅い花 思いを込めてささげた恋唄」が、「踏みにじられて流れた恋唄」になって「むなしい恋唄」になる。これもまた、「はなのいろはうつりにけりな」。「花」の宿命とも言える、やがて移ろうことの切なさを感じさせる曲でもあるなと感じます。
(ゆめ)



10.〈千本桜〉初音ミク(2011)
 作詞・作曲・編曲/黒うさP



なんせバーチャルシンガーやもんなー。最初、聴いた時は「え?歌ってるやん!バーチャルって何やねん、どれがやねん!」って思いました(笑)よく聞くと抑揚があまり感じられないと言うか、機械的な声。「あー、歌声がバーチャルなのね」って。それでもちゃんと聴こえてしまう、何回も聴いてしまう。なんだろうこの中毒性は。実在してないはずなのに、この存在感。そして近未来的な歌声に対して、歌詞は大正ロマン的。「大団円」なんて言葉、江戸川乱歩の小説の中でしか見ませんよ(いや、知らんけど)。そのうち作詞作曲、歌や演奏が完全AIのアーティストとか出てくるのかなぁ、、、。
(ゆうこスティーブ)






はなのいろはうつりにけりな歌謡曲


花と季節

四季の変化に恵まれた日本では、古来より言葉は季節とともにありました。そしてそうした季節の、あるいはむしろ季節の推移の感覚を活写するための道具立てとして、しばしば“花”が採用されてきました。慎ましく日々の生活を送る過程で、わたしたちは、自らの人生をときに植物の一生に重ね、わけてもそのもっとも華やかな“花”のありように目を奪われながら、これに言葉を尽くしてきたのです。

たとえば『万葉集』の小野老が「青丹吉 寧楽乃京師者 咲花乃 薫如 今盛有」と詠う場合、奈良の都に「咲」き誇る「花」の香りが、ひとつの街の、都市の生命力を、栄華と隆盛を象ったうえで、その背後に詠み手の人生の機微をもほのめかします。

『古今和歌集』では、小野小町が「花の色はうつりにけりないたつらにわか身世にふるなかめせしまに」と詠いました。長雨が降るなか、ぼんやりとこれを眺めて虚しく時間の経過していくうちに「花の色」の「うつり」変わったことを嘆くとき、彼女はまた、自身の色容もともに変わってしまったことを悔いずにはいられません。

このような和歌はもちろん、近代以降の日本の歌曲にも数多の“花”が飾られています。なによりもまず、武島羽衣による「春のうらゝのすみた河」の歌いだしで知られる〈花〉(1900)があります。ここでは「かいのしずく」が「花とちる」さまに見立てられていると同時に、「あけぼの」の「露」を「あひ」た「さくら木」を「見」よと唆しています。したがって、舟を漕ぐ櫂から滴る雫は、おそらく「さくら」の「花」の散る様子に喩えられているものと考えられる一方で、「花」が「しずく」や「露」などの水滴、いわば潤いと関連づけられていることも見逃すべきではないでしょう。

いまこの「花」は、「月」の「おぼろ」な具合いも含め多分に湿気を孕みながら、しっとりと開き、しんなりと散っていこうとしています。こうして描出されるのどかな光景の「うらゝ」かさこそ、ほかでもない「すみだ河」の「春」なのです。

瀧廉太郎はこの歌曲を4小節ずつのA-A’-B-A”の構成で仕立てましたが、中田喜直が作曲した〈夏の思い出〉(1949)も基本的には同じ構成で仕立てられています。

ただしA-A’-B-A”のいずれのパートの冒頭でもⅠ度すなわちトニックの和音を響かせていた瀧廉太郎の楽曲に比べて、江間章子が歌詞を「水芭蕉の花が咲いている」と綴ったBのパートでⅣ度すなわちサブドミナントの和音へと展開する〈夏の思い出〉では、そこにサビの印象をより強く訴えることになります。

梅雨にさきがけて咲く「水芭蕉」は、「夏」の季語です。そしてここでも「花」は、「水のほとり」に「咲」き、「霧」に濡れ、「尾瀬」の湿原を彩るのです。やがてその「遠い空」は「石楠花色」を呼んで「たそがれ」ていきます。すでにそれは、過ぎた「夏」の「思い出」として偲ばれる光景です。

花を謳歌すること、それは、花咲く季節を謳歌することなのです。

 

花と言葉

黒澤明の監督による『生きる』(1952)において、志村喬が呟くように口にした歌は、もともとは松井須磨子の歌唱で発表された〈ゴンドラの唄〉(1915)です。作曲者の中山晋平も、この時期やはり松井と同じく島村抱月の芸術座で活動していました。吉井勇が作詞を担当したその歌いだしに、有名な「命短し、戀せよ、少女」の一節が充てられています。

そこではことさら“花”に言及されているわけではありません。にもかかわらず、吉井勇によるこの一節に私たちが“花”の香りを嗅ぎとるとすれば、おそらくそれには、「花のいのちはみじかくて苦しきことのみ多かりき」の文句が影響しているせいかもしれません。

成瀬巳喜男が監督し、高峰秀子が主演した東宝映画『放浪記』(1962)でも引用されているこの文句を、原作者である林芙美子は好んでいたとされます。原典とされる未発表の詩稿では、「多かりき」ではなく「多かれど」と記されていますが、いずれにしても彼女によれば「花のいのちはみじかく」、そのうえ「苦しいことのみ多」いことは確かなようです。

「あなた」や「私」が「生きてゐる幸福」をそう喩えている限りにおいて、林芙美子の認識と表現は、吉井勇の言葉を踏まえたものとも思えてきます。つまるところ、私たちの人生そのものがひとつの花なのです。

それでもなお、歌謡曲は、もっぱら女性という性、わけても少女の年ごろに焦点化して花の命の短さを強調してみせます。

ザ・タイガースの〈花の首飾り〉(1968)で、「ひな菊」の「花」を摘んで「首飾り」を「やさしく編んでいた」あの「花咲く 娘たち」が、請われてそれを「私の首に かけ」たところ、「日暮れの 森の 湖」で「白鳥に姿を変えて」しまいます。しかしこの「花の首飾り」を今度は「白鳥」の「首に かけ」るやいなや、「白鳥」は再び「娘にな」ったとして、これを「愛のしるし」とみなすのです。

もはやそこでは白鳥は、かつての「花咲く 娘たち」とは異なる存在としての「娘にな」ってしまったことは明らかです。いわばそれは、「花」を介した通過儀礼であって、ほどなく「花の首飾り」は枯れてしまったにちがいありません。

このように、女性の一生のうちとりわけ少女の季節を華やかに彩る花には、女性アイドルの存在性を提起するための機能が期待されます。

たとえばアグネス・チャンは、デビュー曲〈ひなげしの花〉(1972)のなかで「あの人の心」を「ひなげしの花」をもって「うらな」います。「来る来ない」、「帰らない帰る」、「愛してる愛してない」…。彼女がそうして自身の「愛の想い」を「ひなげしの花」に託すとき、その「花」は、彼女の「手をはなれ」た花びらの一片ごとに彼女の分身となり、その「想い」の表象となるわけです。

小泉今日子は、森まどかが歌唱した〈ねえ・ねえ・ねえ〉(1979)をカヴァーした〈私の16才〉(1982)でデビューしました。彼女が「髪にさし」た「紅いリラの花」は、「花言葉もわからない おバカさん」な「あなた」への、「パンクしちゃいそう」な彼女の「胸」の想いの告白です。「好きよ 好き」と反芻されるその想いが「紅いリラの花」をとおして「言葉」へと変換され、「あなた」に届くまで、ひたすら彼女は「待つ」のでしょう。

 

花と感覚

花言葉とは、要するに花のイメージの端的な言語化です。歌謡曲の歌詞のうちに特定の種類や色の花が咲く場合、それらのイメージを背負っていることも稀ではありません。

堀ちえみの〈たんぽぽ〉(1982)は、まさしく《少女》と題された彼女の最初のアルバム盤に収録された楽曲です。「私」が「小さな 風の花」に、その「心」が「ゆれてる 風の花」に投影されるならば、彼女は「たんぽぽ」の質素な佇まいの化身となります。

「赤いリラの花」ならぬ「ジャスミンの花」を「髪」に飾ったのは〈白いパラソル〉(1981)の松田聖子でした。「パラソル」の色を反映し、ここでは「花」の色も「白」く輝く傾向にあります。

このシングル盤のB面に収録された〈花一色〜野菊のささやき〜〉でも、「野菊」の色は特に限定されていません。

にもかかわらず、三浦徳子は、「黄昏」を「花の色」とし、またこれを「ひそやかな心の色」とすることで、「野菊」はもちろん、「騒ぐ気持」も「儚い」はずの「人の夢」も、さらには「幸薄い命」でさえ、素朴ながらも高揚し、たちまち冷めていく彩りに染めます。

三浦徳子が渡辺典子に提供した〈花の色〉(1984)の歌詞には、小野小町が詠んだ「花の色はうつりにけりないたつらにわか身世にふるなかめせしまに」の歌からの引用が施されています。「花の色 移りにけりな」とはじまるこの楽曲について、「日ごとにあなたが憎めな」くなっていく彼女の「心」の推移は、「花の色」とともに「夕暮れ」の「空」や「人の世」のそれにも共鳴します。

花の存在性は、色彩の移ろいなど単に視覚的な仕方で認識されるばかりではありません。とりわけ漂う芳香は、ときに視覚に対する以上に花の存在性を確たるものと主張します。

「雨あがりの庭」にあって、「くちなしの香り」が呈する「やさしさに包まれ」ようとしていたのは、〈やさしさに包まれたなら〉(1974)の荒井由実でした。

小椋佳が作詞し、布施明が歌唱した〈シクラメンのかほり〉(1975)では、「真綿色」や「うす紅色」、「うす紫」といった色彩にわかたれながら、けれど「シクラメンのかほり」はどれも「むなしくゆれ」つつ、「季節」として「過ぎてゆ」きます。

堀内孝雄の〈君の瞳は10000ボルト〉(1978)の歌詞は、アリスの盟友である谷村新司の筆によります。ここで「金木犀の 咲く道」に「銀色の翼の馬」が「駈け」抜けるその瞬間、芳香を示す語句の欠如をものともせず、あたり一面はこの花の薫りで覆い尽くされるはずです。あるいはむしろ、「馬」の疾駆の跡をなぞる疾風が巻きあげた芳香に、当の「道」に「咲」いた「花」の「金木犀」であることを私たちは把握するのです。

加えて、歌謡曲は花々の温度さえ触知してみせます。

THE BLUE HEARTSによる〈情熱の薔薇〉(1990)は、「情熱の真っ赤な薔薇」こそが、「心のずっと奥の方」、私たちの「胸に咲かせ」るべき花だと叫びます。この「熱」の一方で、the brilliant greenの〈冷たい花〉(1998)では、「蹴り散らす」ために「冷たい花」が準備されます。これらの花々の温度差は、おそらく、各々のバンド名がそれぞれ英語の大文字のみ、もしくは小文字のみで成立している事実、および音楽的な態様と無関係ではいられません。

 


 

私の「はなのいろはうつりにけりな歌謡曲」10選リスト

 

1.〈蘇州夜曲〉李香蘭(1940)
 作詞/西條八十,作曲・編曲/服部良一


https://open.spotify.com/track/6Tex4ciN6FWA5rM1XwSwO9?si=11fa6827f8ed4656

満州映画協会の看板女優だった李香蘭こと山口淑子が長谷川一夫を相手にヒロインを演じた東宝映画『支那の夜』の、李香蘭自身の歌唱による挿入歌。淡谷のり子を起用してすでに“和製ブルース”をものしていた服部良一が、そこに緩やかにたゆたうような、いわば大陸的な要素を導入して達成した歌謡曲の金字塔のひとつ。ここで咲くのは「桃の花」。

 

2.〈星かげの小徑〉小畑實(1950)
 作詞/矢野亮,作曲/利根一郎

 

 

1980年代から2000年代にかけて幾度となくCMソングに採用された、ちあきなおみの歌声を多重録音したア・カペラが印象的なカヴァー盤が知られるが、そのオリジナル版。歌謡曲ながら、日本語の歌詞のうちに英語のフレーズを組み込んだかなり早い時期の楽曲だろう。「アカシヤの花」の散っていくそこでは小畑のクルーナーが「アイラブユー」の“ブ”を律儀かつ丁寧に発音しており、このため“アイ/ラヴ/ユー”でも“アイ/ラァ/ヴュー”でもなく“ア/イラ/ブユー”や“ア/イラブ/ユー”のように聞こえるが、ともあれジャズと歌謡曲のもっとも良好で健全な関係性のうちに育まれた名曲。

 

3.〈花の首飾り〉ザ・タイガース(1968)
 作詞/菅原房子,補作詞/なかにし礼,作曲・編曲/すぎやまこういち

 

 

“GS”が提供する典型的なイメージのひとつとしてジャッキー吉川とブルー・コメッツによる〈ブルー・シャトウ〉が流布したメルヘン的な世界観に追随し、これを補強する楽曲。ブルー・コメッツの「森と泉」はここでは「森の 湖」となり、「赤いバラ」は「ひな菊の 花」となり、「暗くて淋しい ブルー・シャトウ」は「涙の白鳥」「嘆く白鳥」となる。はじめて主旋律を任された加橋かつみの華奢で不安定な歌声がそうした世界観を見事に描出し、沢田研二のそれとは別の王子像として新たな魅力をザ・タイガースの音楽に付与する。

 

4.〈小さな恋の物語〉アグネス•チャン(1973)
 作詞/山上路夫,作曲/森田公一,編曲/馬飼野俊一


https://open.spotify.com/track/6FQwwdF2efCa7hjSAAe2mD?si=ce53cb96e3454f70

たとえばザ・タイガースの沢田研二がソロ歌手となり男性アイドル化していったころ、南沙織の登場を契機として、彼女を追うように女性アイドルがあいついでデビューする。すでに本国の香港でタレント活動をしていたアグネス・チャンも、そうしたひとりとして平尾昌晃を介して日本の芸能界に登場した。当時まだ英国に租借されていた香港の事情もあって、日本の聴衆よりもよほど英米の大衆音楽になじんでいたものと思しき彼女の初期のシングル曲は、曲調としてはフォーク調を基本としていたものの、彼女の出自ゆえか、とりわけ歌詞については、およそ現実感を欠いた幻想的な異国ないし長閑なユートピア状の空間に彼女を息づかせる。いわばそれは、かつての“GS”が備えていたあのメルヘン的な世界観における主語を女性に置換した焼き直しである。ただし深い木々に閉ざされたかつての「森」は、この異郷から彼女の故郷へとつながる空のもと、〈ひなげしの花〉や〈草原の輝き〉ではあくまでも柔和な「ひなげしの花」の「丘」や「レンゲの花」の「草原」となり、またそれに囲われた「湖」や「泉」は、どこかへ水を誘う「小川」となる。そして〈ひなげしの花〉の主人公への返歌でもあるこの〈小さな恋の物語〉の「お話」の「丘」では、ついに「小川」も枯れて「道」となるのだ。ここで枯れたもの、それは、いうまでもなく彼女の望郷の「涙」であろう。なぜなら、自身の「小さな物語」にあって、いまや彼女は「いついつまでも この街で」ずっと「暮らしたい」と願っているからである。この「丘の上」にはなお「白い花」が咲いている。

 

5.〈すべての人の心に花を〉喜納昌吉&チャンプルーズ(1980)
 作詞・作曲/喜納昌吉,編曲/久保田麻琴

 

 

アルバム盤《BLOOD LINE》に収録。のちに喜納昌吉自身の歌唱をもって〈花〉の題名で知られることになる楽曲の、喜納友子の歌唱で吹き込まれた最初の版。かつて沖縄旅行で喜納昌吉と喜納チャンプルーズの名義による〈ハイサイおじさん〉を聴いてその衝撃を細野晴臣に紹介し、彼をトロピカル路線へと導いた久保田麻琴が、ここでは編曲を含むプロデュースを務め、その人脈からライ・クーダーによるスライド・ギターの演奏を実現している。

 

6.〈黄色いチューリップ〉小泉今日子(1982)
 作詞/三浦徳子,作曲/鈴木キサブロー,編曲/萩田光雄


https://open.spotify.com/track/3rgOZEmL6kybysLQKO3KNG?si=da73dabafdd1410a

小泉今日子の最初のアルバム盤《マイ・ファンタジー》所収。「紅いリラの花」の「花言葉」に想いを委ねる〈私の16才〉や、「フルール」の「花びら」に「あなた」を重ねる〈フルール〉に並べて、「わたし」を「愛」ゆえに「しおれ」、「枯れてゆ」かずにはいない「黄色いチューリップ」に喩えるこの楽曲もまたそのA面に配されている。小泉今日子の製作陣が、はじめて歌謡界に登場する彼女の存在性を花で象ろうとしていたことは明白である。

 

7.〈花梨〉柏原芳恵(1982)
 作詞・作曲/谷村新司,編曲/青木望


https://open.spotify.com/track/3I4EAlWaN4wb4Dc6Psg8Yd?si=b8a6044648a24199

当人の意志や欲望の如何にかかわらず、どこか淡白な柏原芳恵の歌唱は、この衒いのなさが逆に好ましく響く。その意味では彼女は稀有な歌い手であるともいえる。たとえば中島みゆきが提供した〈春なのに〉の場合、これが彼女と同期の松田聖子の歌唱であれば、もしくは中森明菜の歌唱であれば、おそらくそうはいかないだろう。まして、中島みゆき自身の歌唱であればなおさらだ。〈花梨〉の場合も同様に、彼女の歌唱のもの足りなさが谷村新司の存在性を希薄化させ、この楽曲の良質さに説得力を与える。

 

8.〈悲しみの果て〉エレファントカシマシ(1996)
 作詞・作曲/宮本浩次,編曲/宮本浩次,土方隆行


https://open.spotify.com/track/4nYrT4h72JvsNh3t80FmG0?si=e10c966f045b4d99

「悲しみの果て」、「涙のあと」を「素晴らしい日々」にするために、さしあたりなんでもかまわない「花」をもってまずは「部屋を飾」り、「コーヒーを飲」むこと。あるいはむしろ、「いつもの部屋に」そうして「花を飾」り、そこで「コーヒーを飲」む営みこそが、まぎれもなく「素晴らしい日々」それ自体であること。

 

9.〈冷たい花〉the brilliant green(1998)
 作詞/川瀬智子,作曲/奥田俊作,編曲/the brilliant green


https://open.spotify.com/track/7is19WRnzjExRRTesFtDGw?si=163102b01fc64349

〈There will be love there -愛のある場所-〉につづく2匹目のドジョウを求められて〈冷たい花〉を提示できた奥田俊作の才能を擁しながら、川瀬智子の側にのみ焦点をあわせずにはいられなかったことは、このユニットの周囲で彼らを支えた人びとの蹉跌だろう。とはいえ、ここで「冷た」さという皮膚感覚をとおして「花」を補足したことは川瀬の功業である。

 

10.〈ばらの花〉くるり(2001)
 作詞・作曲/岸田繁,編曲/くるり


https://open.spotify.com/track/6iyKwsCmtdXvs19uKyBFfS?si=fba2ee144dd2446e

「気が抜け」た「ジンジャーエール」や「乗り過ごし」た「最終バス」に「愛のばら」を並列させ、それをもって「君」との微妙で複雑な距離の感覚や気分を表現してみせた傑作。他方で、「安心な僕らは旅に出ようぜ」「思い切り泣いたり笑ったりしようぜ」のフレーズは、〈悲しみの果て〉における「素晴らしい日々を送っていこうぜ」のフレーズと呼応し、性差が不安定に揺らぐ時代に男性が花を謳うことの意味を問う。

 

番外_1.〈花〉(1900)
 作詞/武島羽衣,作曲/瀧廉太郎


https://open.spotify.com/track/7h4FQLxLYUGPPaQqZxtHg9?si=2120cf270fa144d3

ここではもちろん「桜」が咲く。特定の歌唱者を想定していない歌曲であるため番外とした。



番外_2.〈夏の思い出〉(1900)
 作詞/江間章子,作曲/中田喜直


https://open.spotify.com/track/25ImaSCJ0l8ikdIxEHhi8M?si=903a135436144889

ここではもちろん「水芭蕉」が咲く。特定の歌唱者を想定していない歌曲であるため番外とした。








文:堀家敬嗣(山口大学国際総合科学部教授)
興味の中心は「湘南」。大学入学のため上京し、のちの手紙社社長と出会って35年。そのころから転々と「湘南」各地に居住。職に就き、いったん「湘南」を離れるも、なぜか手紙社設立と機を合わせるように、再び「湘南」に。以後、時代をさきどる二拠点生活に突入。いつもイメージの正体について思案中。