これは、「手紙社の部員」のみなさんから寄せていただいた“お悩み”に、文筆家の甲斐みのりさんが一緒になって考えながらポジティブな種を蒔きつつ、ひとつの入り口(出口ではなく!)を作ってみるという連載です。お悩みの角度は実にさまざま。今日はどんな悩みごとが待っているのでしょうか?
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第3回「好きを仕事にした結果の批評にどう向き合う?」
月刊手紙舎読者のみなさん、こんにちは。甲斐みのりです。
先月、「北島家ラジオ」にゲストで呼んでいただいた際には、出勤前や一日の始まりである早朝に、たくさんの温かなメッセージをいただきありがとうございました。手紙社代表・北島さんとの話の中でも、「次回の『悩みは“すき”の種』のテーマは、多くの人が同じように考えさせられるものになるのでは」と少し触れましたが、こうしてパソコンに向き合っている今も、私自身、今回の相談者・MIYAKO FUJIOMIさんと同じ気持ちになって、深く考え込んでいます。
【今月のお悩み相談】
相談者:MIYAKO FUJIOMI さん
甲斐さん、こんにちは。私は漫画やイラストを描く仕事をしています。
9歳の頃から漫画を描きはじめプロになって30年ですが、いつでも描く時は楽しいし大好きです。ただ、ずーっと人に評価され続けることに疲れてしまいました。「好きなことを仕事にする」という大変さはわかっているし、良いもの・売れるものを作るための覚悟や意識はあり、常に表現者としてそれに向かいあっていますが、年齢や体力のせいかバランスがとれず非常にしんどくなる時があるのです。
若い時は鬱になることもありましたが、最近は落ちる体力もないようで、評価の言葉を聞いてただただ悲しくなるだけです。コロナ前は旅に出たりして自分を取り戻していましたが今はそれもままならず……。
「好きなこと=評価されること」というジレンマにどう向き合えばいいのでしょうか。同じ執筆家・表現者としての甲斐さんにぜひお話を伺いたいです。よろしくお願いします。
MIYAKOさんのプロとしての経歴は30年。もの書き歴20年の私が意見させていただくのはどうにも恐縮してしまうので、今だけ、“フリーランスという同じような立場の友人と、これからの可能性を探る”ような感覚でお話してもよろしいでしょうか。
実際私には、10年前後、経歴や年齢が離れたイラストレーターや著述業の友人が何人かおり、日頃から、働くこと、好きなことを続けること、評価を受けること、その喜びや苦しみ、ストレスとの向き合い方、生活の楽しみ方、将来の不安や展望を、とりとめなく話しています。しかしながらどれだけ話しても、悩んでも考えても、誰からも明確な答えが出てきたことはありません。たいていは、「それでも続けていくしかないね」と、静かに笑って終わります。
「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」高村光太郎の詩『道程』の世界です。
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フリーランスで絵を描いたり文を綴る私たちにとって、「評価されること」とは、読者による意見や感想、それだけではなく、どのような仕事が自分のもとにやってくるかということが大きいですね。依頼されるテーマや件数、提示される金額が、プロとしての今の自分の価値であると直接的に感じてしまいます。
しばらく新規の仕事が入らなければ自分自身に問題があるのかと考えたり。世に出たときどのように評価されるか心配が募ったり。この先どれだけ今と同じように仕事を続けていけるだろうかと、ふとした瞬間不安に襲われる。毎日この繰り返し。
仕事を始めた頃は、自分だけが暗く寂しい井戸の底から、遥か向こうに輝く光を見上げているのだと思っていましたが、フリーランス仲間と腹を割って話してみると、自分からは完璧なまでにうまくいっているように見える方でも、必ず同じような悩みや気がかりを抱えていると知り、驚きとともに、みんな同じなんだと安堵したことを思い出します。
「みんな同じ」は決して救いになりませんが、それからの私は、同じように不安を抱く友人たちと一緒に、選択肢や逃げ道を見出すようになりました。
この先、仕事がなくなることがあったら、心が折れて今のように仕事ができなくなったら、ある程度の年齢に達して体が動かなくなってきたら……。ちょっと辛いけれど、最悪な状況を想像して身を置きます。そうして友人たちと、ああしよう、こうしよう、こうなったらどうするか、語り合います。
・最低でも数年分の家賃に相応する貯蓄の大切さ
・今いる土地を離れる
・今の仕事からそう遠くない仕事でできそうなことを考える
・今の仕事と全くジャンルは異なるけれど、他にできそうな仕事を具体的にあげてみる
・心の支えになってくれる家族や友人を大切にする
これらは、実際に私が同じ立場の友人たちと考えた、この先の可能性。生涯、自分の仕事はこれだけと迷いなく頑に突き進めたら何よりですが、私自身は今の仕事が続けられなくなったときの選択肢を増やすことが、心の安定に繋がっています。こちらに関してはMIYAKOさんに勧めるというより、私はこうしているという例をお話しました。
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もう一方で、読者や世間一般から評価されることに対しては、苦笑いがこぼれるほど、すでに諦めの境地に達しています。顔が見えない、名前を知らない、これから会うこともない不特定多数の人を、全て満足させることはとてもじゃないけれどできません。よく私は、もの書きとしての自分のスタンスを「誰かにとっての3~4冊目の京都本を書いていたい」と表しています。それというのも、より多くの人を満たすより、限られた同志とともに好きなモノやコトを愛でた方が楽しいし気が楽だと思うからです。
他者の評価に気持ちがざわざわしてしまったら、「見ない」「離れる」「追いかけない」ことも、すぐにできる有効なことだと思います。自分の気持ちに余裕があったら、仕事の評価に正面から向き合うこともできるでしょうが、ちょっとでも気持ちが弱っていたり、心に余裕がないときは、スパッと外の声や情報から離れてください。離れて、より近しい仲間とだけ話してください。私はいつもそうしています。インターネット書店に紐づく、自著の書評も見ないと決めています。
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MIYAKOさんが「評価され続けることに疲れた」「評価の言葉を聞くと悲しい」と感じるのは、MIYAKOさんがとても真面目な性格で、仕事に真摯に向き合っているからこそ。そんなMIYAKOさんだから、30年漫画やイラストを仕事として描き続けられたのです。一つのことを30年続けることは、すごいことです。MIYAKOさんが暮らすまちを見回してみてください。30年続いている店は、そこまで多くないはずです。そうしてこの先、40年目、50年目を迎える前に、諦めの境地に達している私と一緒に、気持ちを緩めてみませんか? 「みんなを満足させるなんて無理~」と。
30年真面目に仕事と向き合ってきたMIYAKOさん。頑張りや疲れが積もっていて当然です。今日だけ、今だけ、思い出したときだけでも十分。いつもよりちょっと適当でいい加減になって、評価から目をそらし、ゆっくりでも我が道を進んでください。プロとして、フリーランスで仕事を続けていくために、何より大事にすべきなのは、自分の心身が健やかであること。今は、いつもより歩幅や加減を緩めるときかもしれません。
振り返れば私自身も、無意識にでも誰かや何かの上に立ったような物言いで評価してしまうことがあったはず。ほとんどの場合、その評価の先に傷つく人がいることを想像できていませんでした。もしもその人が目の前にいたら、もっと慎重に言葉を選んでいたはずです。傷ついた人を前にしたら、自分の胸も痛みます。MIYAKOさんからの相談をきっかけに、「評価されること」だけでなく、「評価すること」についても考えることができました。ありがとうございます。
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追伸
最近の私は、毎晩の夜さんぽで、ご近所猫の見回りが日課です。夜歩いたり、ひととき猫を見守ることで、日々の不安やストレス、ざわざわとした気持ちが少し解消されています。しんどくなったり、ジレンマを感じたときは、「これをする」というのを決めて、その間はひたすらそのことだけに夢中になるのも一つの手です。私はさんぽ(まち歩き)の他にも、料理、銭湯、映画、資料整理などで、悩む時間から離れるようにしています。
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甲斐みのり(かい・みのり)
文筆家。静岡県生まれ。大阪芸術大学文芸学科卒業。旅、散歩、お菓子、地元パン、手みやげ、クラシックホテルや建築、雑貨や暮らしなどを主な題材に、書籍や雑誌に執筆。食・店・風景・人、その土地ならではの魅力を再発見するのが得意。地方自治体の観光案内パンフレットの制作や、講演活動もおこなう。『アイスの旅』(グラフィック社)、『歩いて、食べる 東京のおいしい名建築さんぽ』(エクスナレッジ)、『地元パン手帖』(グラフィック社)など、著書多数。2021年4月には『たべるたのしみ』に続く随筆集『くらすたのしみ』(ミルブックス)が刊行。