“コンプレックス”を大きな原動力に

一日の始まりや終わりに顔を洗うとき、やさしい香りとしっとりとした泡で肌を包み込み、ふっと心を軽くしてくれる石鹸があります。「石鹸を使うのは、一日のなかでほんの短い時間ですが、今日も頑張ろうと思えたり、一日の疲れが癒されたり、そんな“ひととき”を石鹸を通じて届けたいと思うんです」と、18年前に「SAVON de SIESTA」(サボンデシエスタ)を札幌で立ち上げた、附柴彩子(つけしばあやこ)さんは話します。

そんな附柴さんが今一番やりたいことは、「子どもたちが生きる力を養うヒントを届けること」。それが石鹸とどう結びつくのか、どんな思いが込められているのか、附柴さんのものづくり歩みを、じっくりと辿ってみましょう。




お菓子づくりと化学、北海道に惹かれた子ども時代

千葉県の自然豊かな場所で生まれ育った附柴さんには、子どものころから夢中だったものが二つあります。一つは母の影響で好きになった「お菓子づくり」で、もう一つは研究者の父の影響で興味を持った「化学」です。お菓子づくりの好きだったポイントを聞いてみると、オーブンの前で焼き上がるのを見ているのが大好きだったといいます。

「小麦や玉子、ドライフルーツなどの材料を混ぜ、オーブンに入れて焼くと、生地がだんだん膨らんでまったく違う形のケーキができ上がる。それがすごく不思議で、夢中になって眺めていたんです」

化学に興味を持った理由も、どこか似ています。

「物質と物質を混ぜたり加熱したりすると、違うものができ上がるのが面白くて、授業のなかでも実験が一番好きでした」

もう一つ、附柴さんの未来に大きく関わる「北海道」へと、家族旅行ではじめて訪れたのは小学校5年生のこと。当時、自然豊かな千葉から、新しくつくられた筑波研究学園都市へと引っ越したばかりで、都会的な街並みや暮らしに馴染めなかった附柴さんは、北海道の雄大な自然に魅了されました。

「父の母校である北海道大学のキャンパスは観光客も入ることができて、緑がいっぱいで本当にきれいでした。『将来、北大で学びたい!』って子どもながらに思ったのを覚えています」




1年間休学した時間が、大きな転機に

そう思い描いたとおり、北大の理学部へと進学した附柴さんですが、大学3年のころ「やっぱり製菓の専門学校に入ったほうがよかったかな」、「もう一つ興味があった考古学の道に進むべきだったのでは」と人生の大きな壁にぶつかります。そして、北大の大学院に進んだばかりのころ、ついに休学届けを提出しました。

「私は将来について、そこまで深く考えずに化学の道へ進んだので、自分に合っているのか迷ってしまって。本当は、もっと人と近いところで仕事がしたいという思いがあり、休学中の1年間、ギャラリーが併設されたカフェでアルバイトをすることにしたんです」

そこで経験した日々が、附柴さんの将来に大きな影響を与えます。ギャラリーで個展を開催する陶芸家やフラワーアーティストなど多くの作り手と接するなかで、「世の中にはこんな生き方があるんだ」、「もっと自由に好きなことをしてもいいんだ」と思うようになりました。

「私が目指していた研究職では、直接一般の方と関わる機会はまったくなくて。でも、ギャラリーで展示している作家さんたちは、自分の手でつくったものを直接お客さんに手渡し、喜んでいるお客さんの笑顔や声を直接感じることができる。そのことが、当時の私にとっては衝撃的だったんです」




壁にぶつかった自分を支えてくれた石鹸の香り

ちょうど同じころ、もう一つの大きな転機が訪れます。それは、石鹸づくりとの出会いです。仲が良かった後輩の女性が、「きっと好きだと思う」と石鹸づくりを勧めてくれていたのですが、当時の附柴さんはあまり興味がわかなかったそう。ところが、しばらくして化粧品による肌荒れに悩んだ時期があり、対策を調べようと書店を訪れたとき、たまたま石鹸づくりの本が目にとまりました。

「実際に本を見ながら石鹸をつくってみると、植物オイルにアルカリを混ぜることで石鹸へと変化する過程は化学反応そのものですし、材料を量って混ぜ合わせ、固めて切る作業はお菓子づくりのようですごく楽しくて。しかも、肌荒れも良くなっていったんです。当時、家庭教師もしていたので、高校の化学の教科書を見たら石鹸のつくり方が載っていて。点と点がつながった気がしてうれしくなりました」

それだけではありません。休学して将来について悩んでいた附柴さんは、石鹸で顔を洗うときのアロマの香りに心が癒され、落ち込んでいた気持ちも軽くなっていきました。

「いい香りを嗅ぐと、人は自然と笑顔になります。毎日使う石鹸は、いろんな人にホッとする時間を届ける、大きな力になるのではないか。実際に手づくりした石鹸を友人たちにあげると、とても喜んでくれて。『自分の天職はこれだ!』と、石鹸づくりを仕事にしようと決意したのです」



使う人の声や北海道の景色がヒントに

大学院を卒業後、いったんは製薬会社に就職した附柴さんですが、そこで働きながら、石鹸づくりに必要な化粧品製造業の許可を得る方法などを学び、2005年26歳のときに北海道で「SAVON de SIESTA」を立ち上げました。このときから今も変わらず、SAVON de SIESTAでやりたいこととして掲げている二つのことがあります。一つは、「北海道の魅力を、石鹸を通じて伝えること」です。

「北海道には、石鹸に使うハーブや農産物をはじめ、いいものがたくさんあるのですが、ずっと北海道に住んでいると、それが当たり前になってしまう。だから、本州の方はもちろん、道内に暮らす方にも足元にあるいいものを伝えていけたらと思っています」

もう一つ、もっとも大切にしていることは、これまでも述べたとおり、「石鹸を通じて、多くの人に心がホッとする『時間』を届けること」。この石鹸があって良かったなと思ってもらえるような、使う人に寄り添う石鹸をつくり続けていきたいと考えています。



4月の限定石鹸「プリマヴェーラの石鹸」


たとえば、毎月限定の石鹸でこの4月は、お客さんからの「朝、顔を洗いながら、気持ちよくスタートがきれる石鹸がほしい」という声に応え、柑橘の爽やかさにヒノキの仲間の清々しい香りを加えた、体も心もすっきりと目覚めるような石鹸をつくりました。



「Blue Fairy」シリーズ


手紙社の部員さんとコラボしてつくり上げた「Blue Fairy」シリーズも、使う人の声から生まれたアイテム。これまでは、ハンドフレッシュナーとスキンクリームがラインナップされていましたが、5月には新たに石鹸が誕生しました。



Blue Fairyの石鹸


「Blue Fairyは、部員さんからの“和の柑橘系の香り”が好きだという声からインスピレーションを得てつくったシリーズです。柑橘にも似た爽やかな和の香りを持つアオモジを使い、そこにレモンとハッカを加えた石鹸で、とても爽やかないい香りに仕上がりました」

使う人からの声に加えて新作のヒントになるのが、北海道で目にする美しい風景です。




遠回りしたからこそ伝えられることがある

2005年にSAVON de SIESTAを立ち上げた当初は、オンラインでの販売が中心でしたが、「いつでも手に取れる場所がほしい」との声に応えて、2009年に札幌市内に実店舗をオープン。さらに、石鹸をつくっている過程も使う人に見てもらいたいと、2014年には工房を併設した現在のショップへと移転しました。

ショップでは石鹸をはじめ、美容オイルや化粧水などSAVON de SIESTAが手がけるスキンケア、ボディケアアイテムなどが販売されています。また、2013年から出展している「もみじ市」などをきっかけに知り合った作り手の企画展も、定期的に開催しています。そのなかで、附柴さんが今一番やってみたいことは、「SAVON de SIESTAというブランドを通じて、子どもたちに生きる力を持つヒントを届けること」だといいます。

たとえば、石鹸づくりの工房に、まずはスタッフの子どもたちを呼んで、お母さんたちが普段どんな仕事をしているのか、実はけっこうかっこいいんだよと知ってもらえるような、職場体験会を開催していきたいと考えています。




「実は、私はコンプレックスの塊で。子どものころは進学校で勉強しかしてこなかったから、大学に入って大きな壁にぶつかってしまいました。でも、いっぱい悩んで回り道をしてきたからこそ、これから大人になる子どもたちに、何かしらのヒントをシェアできると思うんです。世の中にはいろんな仕事があって、いろんな人がかっこよく働いていることを、子どもたちに伝えられたと考えています」




顔を洗うたびに心がホッとやすらぐ石鹸も、子どもたちに向けたイベントも、日々をよりよく生きるための『ひととき』を届けてくれます。これから、SAVON de SIESTAがどんな活動を展開していくのか、ますます楽しみでなりません。(文・杉山正博)








附柴彩子(つけしば・あやこ)
千葉県生まれ、茨城県育ち。2003年北海道大学大学院理学研究科終了。製薬会社勤務を経て、2005年にSAVON de SIESTAを立ち上げる。2008年に札幌に実店舗をオープンし、2014年に工房が併設された現在の店舗へ移転。「毎日の暮らしに、ココロがホッとするひとときを贈りたい」という思いを込めて、石鹸やスキンケア商品を届けている。

https://at-siesta.com/
Instagram:@siesta_aya / @savondesiesta