これは、「手紙社の部員」のみなさんから寄せていただいた“お悩み”に、文筆家の甲斐みのりさんが一緒になって考えながらポジティブな種を蒔きつつ、ひとつの入り口(出口ではなく!)を作ってみるという連載です。お悩みの角度は実にさまざま。今日はどんな悩みごとが待っているのでしょうか?
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第19回「20代で安定したキャリアを取るか、夢を取るか?」
月刊手紙舎読者のみなさん、新年おめでとうございます。今年のお正月は、久しぶりに家族揃って過ごされている方も多いのではないでしょうか。私もまだまだ注意しながら、家族で集まったり、ちょっとした旅にも出る予定です。自分自身もみなさんも、この一年、にこやかに、機嫌よく過ごせるようにと、願っています。
今年最初の相談は、Sさんから。
【今月のお悩み相談】
相談者:Sさん(女性)
やってみたい事と、現実的な事と、どちらを選択したら良いのか分からず、ずっと悩んでいます。
私は現在、不動産会社で事務をしています。 この仕事を始めたのは、自分にできる範囲内で最も現実的(=将来のキャリアが見据え易い)で安心感があったからです。 なんというか、地道に続けて資格でも取れたら食いっぱぐれなそうだなと、そんな気持ちで始めました。
でも最近、いえ本当は昔から分かっていたのですが、自分のやりたい事はこれじゃないと思うのです。 私はいつか、自分の好きなものだけを沢山集めて雑貨屋さんを営んでみたいのです。お気に入りの物件で、 好きな作家さんの作品、好きなインテリアを並べたり、手芸が得意なので一角に自分の作品を置いてみたりして。 そしてその空間を、「いいな〜素敵だな〜」と思ってくれる方に見てもらえて、その方達の生活の一部に取り入れてもらえたら……
等と考えている時、時間も忘れてトキメキ、心がとても豊かになります。
一度きりしかない人生、夢を叶える為に雑貨屋さんに転職し、お店の作り方、仕入れ、人脈の築き方、 他にも沢山学びたいです。 好きなことを追い求めていきたいです。これが本心です。
でも、せっかく将来を見据えて歩んできたキャリアをここで手離すのはどうなんだろう……と立ち止まって考えてしまいます。 勇気が出ないのです。 甲斐さんにとっては顔も名前も知らない私の、人生にかかわる選択、どちらを後押しすることもできないのは分かっています。 解決していただきたいとは思っていません。ただ今のモヤモヤを聞いてもらい、励ましのお言葉をいただきたいのです。
よろしければ、甲斐さんが現在に至る経緯の中で、同じ壁にぶつかったエピソードなどあれば、お聞かせいただけませんか?
年の頃は20代半ばというSさん。堅実な道として不動産会社で仕事をされているとのこと。よきことと私は思います。これから生きていくのも、好きなことをするのにも、“食いっぱぐれない”はとても大切。贅沢な暮らしとはいかずとも、自ら働き稼いだお金で人並みの生活を営み、衣食住と趣味において、可能な範囲ながらも好きなときに好きなように費やせることは、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を有する私たちの基本であるべきです。
暮らしの基盤をしっかりと持ちながら、追いかけたい夢があるというSさんを、「すてきだな」と思う方もたくさんいるはずです。私にも20代半ばの知人がいますが、たとえ叶いそうもないことでも、これまで具体的な夢を持ったことがないことがコンプレックスなのだそう。今は夢を持つのが夢だと言っていました。
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この先どうなるか、どうしていったらいいか、大きな不安もあるでしょうが、Sさんくらいの年代では多くの人が経験する思い。もちろん私もありました。今までの「悩みは“すき”の種」でも何度か触れていることですが、私はずっとフリーランスで生きてきました。そんな中、自覚としては人一倍、慎重さや堅実さを尊ぶ性格。今のSさんと同じように、“食いっぱぐれない”を、常にものごとの中心に置いてて、考えたり選択してきました。
自分の20代を振り返って、不自覚だったと感じるのは「若さ」に対して。私には物書きという夢があって、あったからこそ、常に不安で焦っていました。早く他の人に追い付かなければ。早く叶えなければ。早く堂々できるようにと。今なら20代だったときの自分に、そんなに焦らなくても大丈夫、あなたはまだ若いと声をかけてあげたくもなるのですが……。とはいえあのとき抱いた不安や焦りがあったからこそ今があるのも間違いない。Sさんの視野を広げていくためにも、たくさん悩んで考えてください。それらは無駄なことでなく、叶えたい夢があるSさんを、支えてくれる軸になるはずです。
ここからは私の個人的な考えです。私はこう思いますとお伝えしますが、それを聞いて、その通りにする必要はもちろんありません。いろいろな人の、さまざまな意見に触れる中で、Sさん自身が自分の人生を選択していってください。
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20代のうちに急いで、不動産会社の仕事から雑貨店への転職を決断せず、今の仕事を務めながら、できる範囲で、これまで以上に雑貨に触れてみてはいかがでしょうか。
確かに雑貨店を始めるのには、お店の作り方、仕入れ、人脈の築き方、それ以上にたくさんの経験が必要です。開店までの準備ができても、そこから継続的に運営していくのには、資金も必要ですし、たやすいことではありません。まずはとことん情報収集から始めて、その上で次の段階に進んでみても遅くはありません。“夢”からもう一歩進んで、雑貨店の“現実”を自主的に学んでみると、視野が広がるのではと思います。
具体的に理想のお店を思い描く。全国の自分の理想に近いお店を調べて数多く足を運ぶ。雑貨店店主の著書をできるだけたくさん読んだり、講演会・トークショーなどに参加する。雑貨店に限らず、なにか商売をしている人に、資金、仕入れ、経理、経営について、直接話をきいてみる。作り手を知る、訪ねる、使ってみる。現在は実店舗だけでなく、web shopやマルシェイベントを主体にされている雑貨店も増えているので、どんな方たちがどんなふうに活動されているか、お手本となるすばらしい先輩方から学ぶこともできます。今、Sさんにできること、しておいた方がいいことは、たくさんありそうです。
具体的に考え始めると、ちょっと頭がくらくらしますが、夢に向かう楽しさも感じられるはず。気持ちの持ち方次第で、不動産会社の事務の仕事も、店を持つのに役立つことがあるかもしれません。
まずはまだまだ、知識や情報を増やして、それからまた、現実的に転職するかどうか、考えてみてほしいです。私も最初は本を読んだり、講演会を聞きにでかけたりしていました。そうして、多くの方がなにかことをおこすとき、「いまだ」「これだ」というタイミングをキャッチして、流れにのってると感じました。そのタイミングをキャッチするための自分自身の力をつけておくことは本当に大切。やりたいことに向かう時間は、大変でもきっと楽しいですよ。
なにより、これまで以上にSさん自身が雑貨を深く愛しながら、学びの気持ちを持つことができれば、気持ちも固まってくるのではないでしょうか。
好きになること、楽しむことを、極めていってほしいです。
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甲斐みのり(かい・みのり)
文筆家。静岡県生まれ。大阪芸術大学文芸学科卒業。旅、散歩、お菓子、地元パン、手みやげ、クラシックホテルや建築、雑貨や暮らしなどを主な題材に、書籍や雑誌に執筆。食・店・風景・人、その土地ならではの魅力を再発見するのが得意。地方自治体の観光案内パンフレットの制作や、講演活動もおこなう。『アイスの旅』(グラフィック社)、『歩いて、食べる 東京のおいしい名建築さんぽ』(エクスナレッジ)、『地元パン手帖』(グラフィック社)など、著書多数。2021年4月には『たべるたのしみ』に続く随筆集『くらすたのしみ』(ミルブックス)が刊行。