あなたの人生をきっと豊かにする手紙社リスト。15回目となる音楽編のテーマは、名前。毎回、「言われてみれば……」という気づきの多い教授の講義。そうか、言われてみれば、ジョニー、多いかも!
歌謡曲、昔の名前で出ています
名前
私たちが生まれたとき、世界を構成する事物のほとんどはあらかじめ名づけられていました。私たち自身ですら、生まれた瞬間にはすでに名前があったか、あるいは少なくともその数日後には名前を獲得しました。それ以降、私たちは、先験的に背負わされたこの名前とともに、世界との関係性を構築していくことになります。新生児がのちの一生にわたり知覚や行動をとおして認識していく世界のありようもまた、実際には、そうした名前をもって構成されている世界とほとんど並行的にして相互補完的な状態にあることを、いまや私たちは了解しています。
それでもなお、たとえば沢田聖子が歌唱した〈シオン〉(1979)にあって、「あの花」にちなんで「君の名前」を「シオン」と「内緒でつけ」る「ぼく」のように、私たちには、これらの事物に自分のためだけの名前をあらためて付与する権利もあります。一定の言語においてそれとして流通している事物の名前、いわゆる普通名詞はさておき、その事物に固有となり、したがって私のみが知りうる私的な名前を、一種の隠語や暗号のようにそこに貼付することができます。
もちろん、試しに「ぼく」が「シオン」と呼んでみたところで、「君」が「ぼく」に「ひとみをむけ」ることはないでしょう。なぜなら、ここで「シオン」という語と「君」という存在との関係性はあくまでも恣意的であり、いかなる必然性もないまま、いわば「ぼく」が勝手に結合させてしまったものだからです。この恣意的な関係性は、ほかの誰にも共有されていない「内緒」のものである以上、「シオン」と名づけられた当の「君」そのひとにあってさえも、自身を指示する名前としてこの語に対処することは不可能なのです。
「シオン」のみならず、私たちに固有のはずの氏名そのものが、私たちに固有であるにもかかわらず、同様の理由によって私たちの存在とは恣意的な関係性にあります。私たちの氏名とは、生まれる前から私たち自身と不可分の唯一性として背負ってきた絶対的なものではなく、生まれるにあたって私たちにふさわしいものたらんとして命名者によって背負わされた、いわば相対的なものです。
事実、私たちの氏名は、一定の言語における音韻の組みあわせと文字の組みあわせとによる有限数のなかから選ぶよりほかなく、また私たちの存在と氏名とのつながりが絶対的でないがゆえに、命名者は新生児に名づけるための音韻や文字の選択に頭を悩ませることにもなります。つまるところ、命名行為とは、言語とその指示対象とのつながりにおける恣意性を証言する極北にほかなりません。実際に、フランスでは、人名として使用できる語に制限があるといいます(*1)。
同姓同名の人物が存在することも、私たち個人に固有の氏名がけっして唯一的ではないこと、すなわちそれが多義的であることの根拠となるでしょう(*2)。
その限りにおいて、〈お富さん〉(1954)をもって春日八郎が「お富さん」と呼びかけるとき、それは、そのように呼ばれうる資格を有している誰の名前のことでもありえるわけです。「お富さん」とは、「お富さん」たりうるすべての存在のことなのです。
それでもなお、春日八郎の謳う「お富さん」は、それが収まる歌詞のなかで、共存するほかの言葉をとおして次第にその人格を限定されていきます。そもそも彼女に呼びかけた声の主体までが、自分を「切られの与三」と名告り、また「玄冶店」の語からもこれが歌舞伎の演目に取材した歌詞であることが知れ、いかなる「お富さん」であれそれに関与しない場合には、春日による指名に同一化することはもはやできなくなってしまいます。
しかしながら、むしろここでは、歌舞伎の演目に取材したことを示唆する「玄冶店」だの「切られの与三」だのといった語句こそが、「お富さん」における多義性を排除し、まぎれもなく当の「お富さん」であることを決定づけるのだから、ここで彼女はあらためて「お富さん」と呼ばれる必要すらないとも考えられます。
和風
換言すれば、歌詞の言葉が描出する文脈に都合よく合致する状況にあるすべての聴き手は、たとえば甲斐バンドによる〈安奈〉(1979)について、その文脈を自らの記憶でなぞりながら「安奈」の語を自身の名前に置換してみたり、長渕剛による〈順子〉(1980)をめぐって、その状況を自らの経験に重ねながら「順子」の語を自身の名前に変換してみることを、まさしく氏名の多義性のもと許容されているわけです。
要するに、そうした文脈に合致してさえいれば、若原一郎の〈おーい中村君〉(1958)であれ南こうせつの〈美映子〉(1982)であれ、そこで記名に費やされた音韻や文字にはいかなる特権もありません。「中村」だの「美映子」だのといった記号とは、中森明菜の〈少女A〉(1982)が表明したように、いわば条件次第で私たちの誰もがそこに自らを代入できる「少女A」のごとき仮名なのです。
さもなければ、歌謡曲は、その歌詞のうちに人名を綴ることを躊躇せずにはいないはずです。歌詞の言葉に共感する聴き手の名前を「安奈」や「順子」だけに制限してしまうからです。
小林旭が歌唱した〈昔の名前で出ています〉(1975)や、KIRINJIが発表した〈だれかさんとだれかさんが〉(2014)は、歌詞のうちに人名を登記しているにもかかわらず、それを列挙する仕方で、その固有性よりはむしろ交換可能性を、すなわち任意ゆえの匿名性を表現します。このような主旨を共有する楽曲として、君の名前がなんだったのかもう思い出せないけれども、君の名前がなんであれ、ほかならない君のための歌だと謳い、やはり女性の名前を羅列してみせたのは、英国のザ・ビューティフル・サウスによる〈Song for Whoever〉(1989)でした。
それだからこそ、歌謡曲の歌詞は、厳密な状況の設定や詳細な文脈の描出を回避し、なるべく多くの聴き手の共感を組み込む余地を言葉の曖昧さのうちに担保しようとするでしょう。こうした観点にとって、氏名の漢字による表記は、いささか雄弁にすぎるかもしれません。表意文字である漢字は意味を引きずり、その使用は、歌い手の声をとおして歌われる音韻より以上の過剰な情報を象ってしまう懸念をともないます。
歌詞における人名とは、いまとなっては単に、当該の音符に人名が嵌め込まれることのみを意味する記号なのかもしれません。そうした記号にさらなる意味を帯同させることは、それ本来の作用とその効果を濁らせずにはいないはずです。ここで名前は音韻のみに還元され、古井戸の〈さなえちゃん〉(1972)やKANの〈まゆみ〉(1993)などではひらがな表記が、ばんばひろふみの〈Sachiko〉(1979)や近藤真彦の〈MOMOKO〉(1982)などではローマ字表記が、それぞれ適用されることになります。
しかしながら、歌謡曲の歌詞における人名の表記の様式としてもっとも積極的に採用されているのは、いうまでもなくカタカナ表記です。
平尾昌晃による〈ミヨチャン〉(1960)やダウン・タウン・ブギウギ・バンドによる〈港のヨーコ ヨコハマ ヨコスカ〉(1975)、高田みづえによる〈そんなヒロシに騙されて〉(1983)といった和風の名前に限ったことではありません。
ザ・ベンチャーズやザ・ビートルズなど、英米の若者たちを熱狂させていた新しい音楽の流入は、日本の若者たちに、自ら楽器を演奏し楽曲を制作しはじめるよう促します。すなわちそれは、従来の音楽産業における既成の体制に対する反抗を意味しました。
たとえば、それまでレコード会社の専属作詞家が独占していた歌謡曲の歌詞についても、彼らは自分たちの言葉で語るよう試みます。また、従来の歌詞においてしばしば土着的だった世界観に背を向けて、日本語で綴られながらどこか西洋風の、あるいはむしろ無国籍的な、したがってメルヘン的にしてユートピア的な奇妙な世界観がそこに提示され、なるほど安直な仕方とはいえ、その音楽性とともに英米の大衆音楽への憧憬を露呈させずにはいません。
洋風
そうした理由から、いわゆる“グループ・サウンズ”では、カタカナ表記による洋風の人名が積極的に使用されています。そもそも“グループ・サウンズ”を謳う彼ら自身の多くが、ザ・ビートルズらを模した英語のカタカナ表記の名のもとに活動していました。そして実際に、ザ・スパイダースの〈リトル・ロビー〉(1966)あたりを皮切りに、“グループ・サウンズ”を標榜するシングル盤の表題にはそれと思しき文字列が奔出します(*3)。
1966年には〈待っててシンディー〉、〈恋のジザベル〉、〈チビのジュリー〉など、1967年には〈気ままなシェリー〉、〈僕のマリー〉、〈マリアンヌ〉、〈さよなら、ナタリー〉、〈マリアの泉〉、〈いとしのジザベル〉、〈モナリザの微笑〉、〈恋をしようよジェニー〉、〈青い瞳のエミー〉、〈霧の中のマリアンヌ〉、〈サリーの瞳〉、〈太陽のジュディー〉、〈幻のアマリリア〉といった楽曲が発表されています。
1968年に発売されたものとしては、〈愛するアニタ〉、〈涙のシルビア〉、〈哀れなジョン〉、〈ベラよ急げ〉、〈すてきなエルザ〉、〈マーシー・マイ・ラヴ〉、〈愛しのアンジェリータ〉、〈想い出のジュリエット〉、〈いつまでもスージー〉、〈リリー〉、〈赤毛のメリー〉、〈僕のマリア〉、〈愛しのサンタ・マリア〉、〈すてきなクリスティーヌ〉、〈ナンシー・アイ・ラブ〉、〈バラのエルザ〉等の表題が確認でき、これはそのまま“グループ・サウンズ”の爛熟期を画す指標となります。
これが1969年ともなると、わずかに〈港のドロシー〉、〈赤い靴のマリア〉、〈淋しいジェニー〉、〈帰らなかったケーン〉あたりを数えることができるにすぎず、この事実は“グループ・サウンズ”の熱量が急速に減衰してしまったことをも示唆するでしょう。
シングル盤の表題ばかりか、ザ・タイガースによる〈銀河のロマンス〉(1968)の歌詞では「あなた」は「シルヴィー」と名づけられ、やはり彼らの《HUMAN RENASCENCE》(1968)に収録された〈忘れかけた子守唄〉の場合には、「ジョニイ」のために「子守唄」が「唄」われます。ザ・タイガースの解散ののち、PYGを経由して単独デビューした沢田研二が〈追憶〉(1974)に「ニーナ」を召喚し、これとほとんど同時期に西城秀樹は〈傷だらけのローラ〉(1974)を発表しています。
原田真二の〈キャンディ〉(1977)やSouthern All Starsの〈いとしのエリー〉(1979)、佐野元春の〈アンジェリーナ〉(1980)や南佳孝の〈涙のステラ〉(1981)、大滝詠一の〈恋するカレン〉(1981)や伊藤銀次の〈雨のステラ〉(1982)など、いわゆる“シティ・ポップス”系列の楽曲に加えて、早見優の〈夏色のナンシー〉(1983)やチェッカーズの〈ジュリアに傷心〉(1984)、尾崎豊の〈シェリー〉(1985)や安全地帯の〈碧い瞳のエリス〉(1985)、さらにはTHE BLUE HEARTSの〈リンダ リンダ〉(1987)からハナレグミの《音タイム》(2002)に所収の〈ナタリー〉に至るまで、こうした“グループ・サウンズ”の遺産はそれ以降の歌謡曲に継承されています。
いまやその歌詞の言葉には、なんの衒いもなく洋風の人名が援用されます。カタカナ表記によるこれら洋風の人名は、日本社会を舞台とするにはいかにも信憑性に欠ける状況を歌詞の言葉が設定し、これが展開されるための方便として、彼ら彼女らを翻訳小説の登場人物のように扱うことでその虚構性を正当化して気恥ずかしさを隠蔽し、にもかかわらずそうした世界観に焦がれる聴き手の意識の没入ばかりは許容するような、ある種のオブラートなのです。
借用
ところで、歌謡曲にはしばしば[ジョニー]という名前が持ち込まれます。アイ・ジョージの自作曲〈硝子のジョニー〉(1961)がその嚆矢かもしれません。
弘田三枝子が歌唱した〈枯葉のうわさ〉(1967)において、「ジョニー」は「ひとりぼっち」です。そして「あなたが去って」その「さびしい姿」が消えてからもう「三年たった」ことが、おそらくは彼を待ち「疲れ」た「私」によって回顧されます。
ザ・タイガースが歌唱した〈忘れかけた子守唄〉でもやはり、「戦さを終え」た「兵士が帰」ってくるなか、「ジョニイの姿が見え」ません。彼からの「手紙」は「五月にとど」いたものの、彼を待って「残」された「母」は、ようやく「思い出した子守唄を」彼のために「涙でむなしく唄う」よりほかありません。
鹿内孝による〈本牧メルヘン〉(1972)の「ジョニー」は、「本牧」の「あの店の片隅で死んだ娘」を「送」る「ペットのブルース」にしたがって、「スミス」とともに「海鳴りに向かって歌ってい」ます。
ペドロ&カプリシャスによる〈ジョニーへの伝言〉(1973)では、「お酒」の店で「二時間待っ」ても現われない「ジョニィ」を諦めた「わたし」は、この「さびしげな町」から「出て行く」決意を固めます。「今度のバス」に乗って「西でも東でも」、ひとり「わたしはわたしの道を行く」のです。
https://open.spotify.com/track/2A0SjbhBlCuSRvcptixoDJ
アリスによる〈ジョニーの子守唄〉(1978)の「ジョニー」についても、「今」は「どこにいる」ものか「俺」にはわかりません。ただ「店の片隅」で「君の歌声」が、「君の唄」だけが「ふと聞こえてき」ます。
堀ちえみに提供された〈モノレールのジョニー〉(1984)は、《Strawberry Heart》の収録曲です。
「小雨が降る街角」へと「かけ出して行く」彼女の「ジョニー」はどこまでも「淋し」く、「孤独」です。UAの〈悲しみジョニー〉(1997)についても、「愛を亡くし」た「ジョニー」は「心に傷を隠し」、「ママの甘い子守歌」に「憧れ」るばかりです。天野晴子の名義のもと小泉今日子が歌唱した〈潮騒のメモリー〉(2013)では、「誰にも会わずに」ひとり「北へ帰る」その前に、「私」は「千円返して」と「ジョニー」への伝言を残します。
こうした[ジョニー]の系列に共通する要素、それは、“孤独”や“別離”、“不在”や“欠落”、“唄”や“手紙”や“伝言”といった語句に要約されるイメージです。〈硝子のジョニー〉でもすでに、「何故か帰らぬ ジョニーよ どこに」と謳われています。
そこではおそらく、映画作品『ジョニーは戦場へ行った』(1971)や、その原作小説『ジョニーは銃をとった』(1939)が参照されています。しかし、その源泉には、反戦歌として発表された〈Johnny I Hardly Knew Ye〉(1867)があり、ピーター・ポール&マリーによる〈The Cruel War〉(1962)もこれに取材しているものと思われます(*4)。
ベトナム戦争に対する若者たちの態度を背景としたザ・タイガースの〈忘れかけた子守唄〉が、こうした反戦的な主義を直接的に歌詞に織り込んでいます。しかしそうした明瞭な政治性はほかの楽曲では脱色され、これといった理由も開示しないままもっぱら“孤独”や“不在”の側面を強調する複数の歌詞の堆積をとおして、歌謡曲は[ジョニー]をそれ固有の人格ないし磁場として仕立てあげていったわけです。
そのイメージに抗ってみせたのは桑田佳祐です。ただし彼の〈波乗りジョニー〉(2001)では、歌詞の言葉のうちに[ジョニー]の出番はありません。
広く知られた童話やお伽噺の登場人物の名前は、物語の筋書き、あるいはこれを支えるさまざまな道具立てとともに私たちの記憶に刻まれています。いわばそれは、私たちに共有の遺産、すなわち知的な公共財にほかなりません。
歌謡曲の歌詞の言葉に彼ら彼女らの名前が引かれるときには、単なる名前としてではなく、これら筋書きや道具立てを帯同して響くことになります。 ピンク・レディーの〈カルメン’77〉(1977)において、「カルメン」という「名前」で自己紹介をはじめた「私」は、「勿論あだ名にきまって」いるその由来について、彼女には「バラの花」を「口にして踊っている」ような「イメージがある」ためだと弁明してみせます。
男性の登場人物
旋律を構成する音符の数に応じて使用できる音韻の数が制約されてしまう歌謡曲の歌詞にあって、たとえば[カルメン]など登場人物の名前のみに言葉を費やすだけで、あらかじめ確立されている一定のイメージがたちまち聴き手に共有される以上、それは歌謡曲の歌詞にとってきわめて重宝な記号となるわけです。
[シンドバッド]は、『千夜一夜物語』の挿話に登場する商人であり、交易のための航海を重ねてやがて陸に戻ったのち、その過程で経験した出来事を周囲に説いて聴かせる語り部です。
ピンク・レディーによる〈渚のシンドバッド〉(1977)での「シンドバッド」とは、まるで世界各地の港を転じていく交易商の身軽さで、「渚」にあって「ここかと思えばまたまたあちら」へと、つまりは「渚」の「美女から美女へ」と渡り歩いて彼女たちを「うっとりさせ」、ついには「私」も「あなたにおぼれ」ずにはいられないような、まさしく「渚」に流れる浮き名です。ここで彼の「小わきにかかえ」られた「サーフィンボード」が、海の男たる「シンドバッド」としての彼の資格を補強します。
[ロビンフッド]は、弓の名手として英国に伝わる義賊です。
榊原郁恵が歌唱した〈いとしのロビン・フッドさま〉(1978)では、「私」に「すばやく愛の矢を はな」ち、まだ「青い青いリンゴ」だった彼女の心を射抜いて、これを「赤く赤く色づ」かせた「あなた」こそが「私のロビン・フッドさま」となります。ところが、「あなたはいつのまに 私をおい」たまま「ひとりでさすらいの 旅にでかけ」てしまい、以後「どこを旅している」とも行方が知れないようです。こうして、彼からの「愛の矢」に射抜かれた「赤い赤いリンゴ」は、「矢をぬいた」状態で「穴があいたまんま」、「ひとりじゃ凍えそうな」ほどの「すきま風」に、その「むなし」さに苛まれずにはいません。
やはり英国で創作された比較的新しい物語にあって、不可能な並行世界のなかで歳をとることを忘れた永遠の少年、それが[ピーター・パン]です。 市川実和子に提供した〈ポップスター〉(1998)には結局のところ「ピーターパンは来ない」かわりに、大滝詠一は、《EACH TIME》(1985)で松本隆に作詞を委ねた自身の〈魔法の瞳〉に「飛べなくなったピーターパン」を召喚します。いまやただの男である「ぼく」は、けれど「君」の「眼」を「見つめ」るたびに「夢うつつ」となります。それは「魔法」であり「催眠術」であり「手品」であり、「ディズニーの」映画、その「動画の銀幕」であり、つまるところ「飛べなくなったピーターパン」を再び永遠の少年へと変換する「妖精の粉」なのです。
https://www.youtube.com/watch?v=kd8j9XnKe_g
杉真理の〈スクールベルを鳴らせ!〉(1983)は《STARGAZER》に収録された楽曲です。ここで「ピーターパン」は、「あの日」に「アダムスキーが見た光」の正体と位置づけられています。「校庭」や「スクールベル」、「机の片隅の落書き」といった道具立てのもと、「星」の瞬く夜に「ベッドから抜け出して」なにがしかの符牒であろう「あの鐘を鳴らせ」と扇動されるとき、そこには永遠の少年たちが集うことになるのかもしれません。こうした主題は、赤い公園の〈交信〉(2013)に継承され、「鐘」の音は「ブレーメン」の音楽隊によってなぞらえられるでしょう。
[トム・ソーヤ]は、ミシシッピ川のほとりの町に暮らし、親友の[ハックルベリー・フィン]とともに悪戯や探検を繰り返す腕白な少年です。
コーヒーカラーによる〈人生に乾杯を!〉(2004)では、「トムソーヤ」である「俺たち」は、「別れの時」に「乾杯」すべく「見飽きたこの街で盃を交わす」ために、ミシシッピ川ならぬ「無限のネオン」へと「漕ぎ出してい」きます。
https://www.youtube.com/watch?v=b6dYDEJkxVw
これら男性の登場人物に童話やお伽噺が依託する機能とは、無邪気で無鉄砲な、向こうみずで怖いもの知らずの存在があとさきを微塵も考慮することなく、もっぱら好奇心のみに自らの行動の原理を委ねたすえの、波乱万丈の、そしてときに英雄的な冒険譚を綴る基軸となることです。したがって、歌謡曲の歌詞のうちに彼らが登場する場合には、その楽曲にもこうした性質が否応なく編み込まれます。
他方で、女性の登場人物の場合には、波乱万丈な冒険の次第よりも、むしろ世界観の不思議さや可憐さ、華美さの側が焦点化されることになります。しばしばそれは、魔法による登場人物の変身といったかたちで達成されますが、この意味において、歳をとらない[ピーター・パン]の少年性はどれほどか中性的です。
女性の登場人物
まさしく不思議の国に迷い込むために[アリス]が利用した魔法とは、夢のまどろみにほかなりません。
実際に、松田聖子が発表した〈時間の国のアリス〉(1984)にあって、「空を飛」んでみても「上手く飛べない」まま、しかし「頬つねっても痛くない」ことから、「私」はこれが「夢なら続きを/見させて」と願います。「永遠の少年のあなたが言う」ように、「誰だって大人になりたくはない」以上、「時間の国のアリス」でありつづけるためには、夢からの覚醒の瞬間を回避すべく、彼女もまた「魔法の時計」を「逆にまわ」さずにはいないでしょう。
こうして女性アイドルの地位に停留しつづけようとする彼女に、松本隆は、「四次元の迷路」や「タキシード着たウサギ」のみならず、[白雪姫]から「毒入り林檎」を、[シンデレラ]からは「カボチャの馬車」を借用してきます。
その[シンデレラ]こそは、歌謡曲がもっとも活用する童話の登場人物のひとりでしょう。
たとえば《DA・DI・DA》(1985)に収録された松任谷由実の〈シンデレラ・エクスプレス〉では、「シンデレラ」の「魔法が」まさに「消えるように」、いま「列車」は「出て」いってしまいます。ただし、すでに「カボチャの馬車」は松任谷が作曲した〈時間の国のアリス〉の歌詞のうちにあらかじめ貸与されており、この「列車」がその変奏として「シンデレラ」たる「私」を乗せる資格はありません。
事実、「列車出てく」の表現は、ホームに残されたままこれを見送っている視点を、あくまでも彼女のものとして担保します。「列車」は、「私」ではなく、「あなた」の身体をこそ運び去ります。「あなたの街を濡らす雨」が「もうじきここまで来る」のだから、「あなた」は「ここ」よりも西の「街」へと帰っていくのかもしれません。
その一方で、「ガラスの靴」の「片方」はやはり「彼が持っている」ようです。ところで、「ドアが閉まる」とき、「列車」の「ガラス」には「街の灯」が「浮かん」でいることからすれば、実際にはこの「列車」とは、カボチャの馬車どころか、むしろ「あなた」が、「彼が持ってい」った「ガラスの靴」の「片方」の謂でしょう。
まさに「消え」ていく「魔法」に喩えられるこの特急の出発時刻が午前0時近辺であることは、もはやいうまでもないところです。ここで「私」は、その「ガラスの靴」に足を踏み入れるにふさわしい人間かどうか、「彼」と「どんな遠くなっても」けっしてその「距離に負けぬよう」、ある試練を、「意地悪なこのテスト」を受けているただなかにいるのです。ここで悲劇的な局面に浸る「私」は、けれど「シンデレラ」に自らを投影することによって、来たるべき試練の結果をあらかじめ期待してみせます。
この物語をめぐって魔力が効用を喪失しようその瞬間に拘泥したのは、岩崎宏美が歌唱する〈シンデレラ・ハネムーン〉(1978)でした。「時計に追われ」ながら、「日ぐれにはじま」り「夜ふけに別れる」逢瀬のかたちが、そこでは「シンデレラ・ハネムーン」と形容されます。
高見知佳による〈シンデレラ〉(1978)において、「誰からも愛されるヒロイン」としての「シンデレラのようなレディになりたかった」語り手は、「ガラスの靴を」履いてみたものの「いい娘にもなれ」ず、また「鳴りわたる」あの「12時の鐘」を聞いてなお「お家には帰れ」ません。
これがセイントフォーの〈不思議 Tokyo シンデレラ〉(1984)の場合には、「幻がきらめく街」である「Tokyo」だからこそ、「12:00をすぎても夢」のなかにいられる「不思議」が可能となるものと謳われています。
《ガラスの鼓動》(1986)に収録された斉藤由貴の〈パジャマのシンデレラ〉では、「プリズムの夢」が七色の輝きを放っています。なるほどそれは、「とってもすてきな夢」にはちがいありません。それでもなお、これは「つかのまの夢」であり、それに「消えないで」と懇願することが「あさひ」に「おこさないで」と請願することと同義であるような、「パジャマきたシンデレラ」が「まどろみ」のうちに耽溺する「あさの夢」にすぎないのです。
実在の人物
[シンデレラ]の名のもと歌謡曲の歌詞に綴られた彼女たちの夢想のほとんどは、結局のところそうした夢物語に始終します。
田原俊彦による〈ジュリエットへの手紙〉(1981)や杉真理による〈内気なジュリエット〉(1983)、さらにはBOØWYによる〈わがままジュリエット〉(1986)など、悲劇的な戯曲の登場人物である[ジュリエット]の場合には、もはや恋を成就できない女性の代名詞だとさえいえるはずです。
ところで、横浜銀蝿のJohnnyによる〈ジェームス・ディーンのように〉(1981)において、たとえ「ひとときだけ」ではあれ、こうした「シンデレラ・ストーリー」の「キラメキ」に現実味を与えるのは、実在した早逝の映画俳優[ジェームス・ディーン]の愛称だった「ジミー」の名義です。
というのも、「ジミーのよう」な「ハート」を持った「キズだらけ」の「俺たち」に「心開」くならば、「星が降りそ」うな「こんな夜」には「オールナイト」で「Highway」を「とば」して、眠りですごすことなく「朝」を迎えることができるからです。
大沢逸美に提供された〈ジェームス・ディーンみたいな女の子〉(1983)にあっては、「まわりが不思議に思」うような、「女の子同志」の「恋によく似」て「恋より純な」、「ひどく微妙」な感情の疎通を実現してみせる存在、それは、まぎれもなく「ジェームス・ディーンみたいな女の子」でした。
南佳孝の〈モンロー・ウォーク〉(1980)で、「つま先立てて海へ」と「腰をひねり」ながら歩く「いかした娘」の「モンロー・ウォーク」とは、もちろん[マリリン・モンロー]式の歩きかたのことです。大塚博堂は〈ダスティン・ホフマンになれなかったよ〉(1976)を、榊原郁恵は〈アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた〉(1977)を発表しています。沢田研二による〈カサブランカ ダンディ〉(1979)の「ボギー」が『カサブランカ』(1942)に主演した[ハンフリー・ボガート]の愛称であることは、いまさらいうまでもありません。
こうした銀幕のスターたちの名前のほか、山崎美貴が歌唱した〈借りたままのサリンジャー〉(1985)や石川優子が歌唱した〈涙のロートレック〉(1985)など、小説家や美術家といった、さまざまな分野に実在した著名人の名前を歌謡曲はたやすく借用します。そうした人名の軽薄な扱いかたについては、田中康夫の小説『なんとなく、クリスタル』(1980)に註記のかたちで引用される固有名詞群の頻出を想起させます。
《SUMMERTIME IN BLUE さよならの共犯者》(1988)に収録された安部恭弘の〈言葉に出来ない〉にも「ロートレック」が登場します。さだまさしの《夢供養》(1979)では、「ちひろの子供の絵の様な」との表現で〈歳時記〉が[いわさきちひろ]の画風に言及しています。
しかしながら、歌謡曲が実在の著名人の名前を扱うにあたりもっとも参照される頻度の多い分野とは、おそらく音楽にちがいありません。そしてひとたびそうした音楽家たちの名前を引用するやいなや、その音楽性そのものが件の楽曲のうちに浸透してくることは不可避です。小林麻美がC-POINTとともに発表した〈雨音はショパンの調べ〉(1984)での[フレデリック・ショパン]や、松田聖子による〈ピンクのモーツァルト〉(1984)での[ヴォルフガング・モーツァルト]の事例のように、いわゆる古典音楽をめぐる人名の採用もみられますが、とりわけ歌謡曲と親和性が高いのは、吉幾三による〈俺はぜったい!プレスリー〉(1977)に典型的な、大衆音楽の歌手や演奏者たちです。
〈学生街の喫茶店〉(1972)のGAROは「この店の/片隅で聴いていた ボブ・ディラン」と歌い、高田みづえは〈私はピアノ〉(1980)で「ふたりして聞くわ ラリー・カールトン」および「雨の降る夜には ビリー・ジョエル」と歌っています。いずれの場合についても、歌詞の主人公がその言葉の世界のなかで耳にしている音楽の歌手や演奏者の名前をもって、彼らにまつわるイメージをその音楽もろとも歌詞の言葉の世界に組み込むはずです。
ご本人登場
いわゆる洋楽の歌手や演奏者ばかりに限ったことではありません。 〈私はピアノ〉は、もともとはSOUTHERN ALL STARSの《TINY BUBBLES》(1980)のために桑田佳祐が作詞と作曲を担当し、原由子が歌唱した楽曲でしたが、同じアルバム盤に収録された〈Hey!Ryudo!〉における「Ryudo」とは[宇崎竜童]のこととされます(*5)。
加えて、彼らの《KAMAKURA》(1985)には〈吉田拓郎の唄〉(1979)があり、吉田拓郎の《元気です。》(1972)には〈加川良の手紙〉があります。石野真子の〈ジュリーがライバル〉(1979)では「ジュリーのポスター」のかたちで[沢田研二]が登場し、とんねるずの〈嵐のマッチョマン〉(1985)では「近藤マッチョマン」の表記で[近藤真彦]の輪郭が仄めかされます。
そうしたなか、《SYMPHONY#10》(1985)に収録された杉真理の〈Key Station〉は、架空のラジオ局からの放送を擬して、「机の上の小さな箱」たる「そのradio」から彼が語りかける言葉として、彼の「友達の歌」を紹介する体裁を適用することによって、杉の知己である実在のミュージシャンたちの名称が歌詞のうちに列挙されることを正当化します。
そこでは、杉真理が自ら率いるバンドである「dreamers」を皮切りに、当代一流のシンガー=ソングライターの一系列、つまり「達郎」こと[山下達郎]や「Yuming」こと[松任谷由実]、「ナイアガラ」こと[大瀧詠一]や「銀次」こと[伊藤銀次]、そして「浜田省吾」や「佐野元春」までが、杉の歌声をとおして指名されるばかりでなく、時宜をえて「ナイアガラ」の音効を模した残響がスネアに施され、さらに伊藤銀次や佐野元春や浜田省吾が、まさに本人たちの歌声をもってこの楽曲のなかに出来することになります。
なお、《ブルースで死にな》(2008)の宇崎竜童も、〈RESPECT―偉大なる神々に捧ぐ―〉において、「若い頃に聞いた歌声」を「魂の叫び声」として「キッチリと受け止め」、「彼等の歌」すなわち「BluesとR&R」に対して「有難うと伝えたい」との意図から、「チャック・ベリー」や「エルビス・プレスリー」はじめ「俺の神々」の名前を列挙しています。
松本伊代のデビュー曲〈センチメンタル・ジャーニー〉(1981)の衝撃は、歌い手である彼女自身の名前があらかじめ歌詞の言葉のうちに織り込まれていたことでした。「伊代はまだ 16だから」と歌うとき、「謎」や「不思議」に魅かれ「つぼみのままで /夢を見ていたい」と願う彼女もやはり、歌詞の言葉の世界にあっては「影絵のように美しい/物語」の主人公、要するに「夢」からの覚醒を「怖」がるひとりの[シンデレラ]であるかもしれません。
けれどまた、そうした彼女の「物語」が「読み捨てられる 雑誌のように」蕩尽され、飽かれたすえに「放り出されて しまう」ことに懸念を表明するこの歌詞そのものが、アイドル歌手としての[松本伊代]の賞味期限の如何はともかく、少なくとも当の楽曲それ自体の消費期限を「伊代」の「16」のあいだにのみ制約してしまうことは不可避です。
「扉」が開いた以上、もはや時間を止めることも、ましてこれを巻き戻すこともできません。要するに、まぎれもなく楽曲の送り手の側こそが、すでに封切りされた[松本伊代]が賞味期限を迎えないうちに「私のページ」を次から次へと「めく」って消費を加速させることを、その受け手の側に教唆しているわけです。
《心の扉 ちえみMyself》(1983)において、〈名前を呼んで〉の堀ちえみも同様に「夢にまで見た輝く世界」の「扉を開」けています。ここで「初めて」のことに「手探りばかりの私」は、ほかならない「あなた」に、「手をさしのべて 名前を呼んで」と歌いかけます。「あなた」が「いつまでも」この「私」と「二人いっしょだと云って」くれるなら、「まだ見ぬ未来も恐くない」と彼女は説きます。
存在性の再定義
いまだ直接的に明示されなかった彼女の「名前」が「C・H・I・E・M・I」すなわち「ちえみ」であることは、《風のささやき》(1983)の付属シングル盤という変則的なかたちで発表された〈CHIEMI SQUALL〉で打ち明けられます。そうして「あなたと心重ねて」、「一行ずつ」ではあれ「あわてないで」着実に「綴られてゆ」く彼女の「ふれあいの物語」にあってなお、「急ぎ足の時間を眠らせ」るためには、結局のところ「私」も「恋」の「魔法」に頼るよりほかすべはありません。
事実、《雪のコンチェルト》(1983)の収録曲である〈ちえみ言葉でI Love You〉では、「私」によって「描」かれる「ロマンス」は依然として「夢」の途中にすぎません。「I Love You」さえが、その不可能な世界でだけ有効な「ちえみ言葉」をもってようやく、「きっとあなたに届く」はずの発話として「いつの日か」実現されることを曖昧に期待させながら、けっして訪れることのないその瞬間を永遠に先送りにし、その実現は宙吊りとなったまま、「夢」の外側の時間ばかりが蕩尽されていくのです。
倉沢淳美に提供された〈プロフィール〉(1984)は、アイドル歌手のデビュー曲をめぐって〈センチメンタル・ジャーニー〉が提起した手法を発展的に応用しています。
この時点で彼女はすでにお茶の間には知られた存在であり、さらにレコード歌手でもありました。ただしそれは、[倉沢淳美]としてではなく、テレビ朝日系列で放送された『欽ちゃんのどこまでやるの!?』における三人姉妹の次女役の設定で、“かなえ”の名義のもと、わらべの一員となって〈めだかの兄妹〉(1982)や〈もしも明日が…。〉(1983)を歌唱したものでした。
高視聴率を誇った番組をとおしてあらかじめ確立され、その登場人物としていわばひとり歩きしている人格は、[倉沢淳美]個人によるデビューにとって必ずしも利益のみを恵むわけではありません。新人歌手として、けれど幸運にもその容姿は広くお茶の間に認知されている利点は維持しつつも、ひとり歩きした偏見を刷新のうえあらためて新鮮な存在性を定義すべく、〈プロフィール〉の歌詞の言葉はもっぱら彼女の自己紹介に費やされます(*6)。
生年月の登記にはじまり、「いま16歳」である彼女は自らこれを「恋の年頃」と位置づけながら、「1メートル56」のその身の丈が、まさに「あなたとなら釣り合いそう」だと秋波を送ってみせます。「プロポーション」は「秘密」とされますが、「口づけさえ憧れのまま」であることの吐露が、「目覚めそうで 目覚められない」その「年頃」の微妙な「心」を象ります。 そうしたなか、この楽曲では、「A・TSU・MI」の表記のもと都合8回にわたり彼女の名前が繰り返し謳われることになるのです。
〈ナウ ロマンティック〉(1995)を発表したKOJI1200は、今田耕司とテイ・トウワのプロジェクトでした。才能に満ちたお笑い芸人としての今田耕司は、ここでは“KOJI”の芸名をまとって、いわゆる“ニュー・ロマンチック”の風体で低音の歌声を響かせます。ところがそのサビに至ったとき、彼は「いまだは Now Romantic」と歌唱し、[今田耕司]の本性に言及せずにはいられません。
たとえば、テレビ東京系列で放送されていた『やりにげコージー』や『やりすぎコージー』には、今田のほか盟友の東野幸治や千原ジュニアこと千原浩史に加え、企画段階では加藤浩次の参加も検討されていたなど、当時の吉本興業には多くの“コージー”がお笑い芸人として所属していました。そんな彼らの誰にも、テイ・トウワとの協働に与して“KOJI”の芸名をまとう資格はあったはずです。
それだからこそ、〈ナウ ロマンティック〉における“KOJI”がほかでもない「いまだ」のものであることを、ここで彼は明確に告白するのです。つまるところ[今田耕司]とは、“KOJI”でも“コージー”でもなく、あくまでも「いまだ」なのです。
*1 田中克彦,『名前と人間』, 岩波書店(岩波新書), 1996, p.76.
*2 藤川直也,『名前に何の意味があるのか 固有名の哲学』, 勁草書房, 2014, pp.69-86.
*3 黒沢進,『日本ロック紀GS編 コンプリート』, シンコーミュージック・エンタテイメント, 2007, pp.29-105.
*4 竹村淳,『反戦歌 戦争に立ち向かった歌たち』, アルファベータブックス, 2018, pp.35-42.
*5 中山康樹,『クワタを聴け!』, 集英社(集英社新書), 2007, p.41.
*6 濱口英樹,『ヒットソングを創った男たち 歌謡曲黄金時代の仕掛人』, シンコーミュージック・エンタテイメント, 2018, pp.270-271.
堀家教授による、私の「名前」10選リスト
1.〈アル・パチーノ+アラン・ドロン<あなた〉榊原郁恵(1977)
作詞・作曲/森雪之丞,編曲/小六禮次郎
「ホリプロタレントスカウトキャラバン」の第1回グランプリを受賞し、“1億円のシンデレラ”として売りだされ、「いとしのロビン・フッドさま」と歌い、舞台『ピーター・パン』に主演するなど、なにかとお伽噺の主人公たちと縁の深い榊原郁恵が、当代きっての美形俳優ふたりの名前を梃子に、彼女らしくきどりのない凡庸な恋愛の輝きを謳ってみせた、「アル・パシーノ」の表記も懐かしい女性アイドル歌謡の秀作。Aメロの冒頭、タム回しを同期させる「坂の」の箇所のシンコペーションが心地いい。
2.〈恋するカレン〉大滝詠一(1981)
作詞/松本隆,作曲/大瀧詠一,編曲/多羅尾伴内
説明無用、“ナイアガラ・サウンド”の名曲。これを収録した《A LONG VACATION》の発表40周年を記念し、発売元のソニー・ミュージックがYouTubeに公開した『大滝詠一「恋するカレン」×360 Reality Audio MUSIC VIDEO』では、各チャンネルの演奏音の分離と定位が明確で当初の盤とは如実に異なって聞こえる。これが、音の塊としての音像のありようを模索した大瀧の意図する“ナイアガラ・サウンド”の概念に適合しうるものかどうかは疑わしいが、それでもなお、繰り返しのサビでは、当初の盤では聞こえなかった大瀧の緻密にして重厚なコーラス・ワークの肌理を明瞭に聴くことができ、そのことだけをもってしても一聴に値する。なお、この原曲となったスラップスティックへの提供曲の表題は〈海辺のジュリエット〉。
3.〈ジュリエットへの手紙〉田原俊彦(1981)
作詞・作曲/宮下智
なるほど、田原俊彦は音程も発声も不安定かつ不明瞭で、その歌唱はどこまでも怪しい。しかしながら、これを演奏楽器やバック・コーラスの音量増幅、極端なリヴァーブやイコライジングなどの音響処理で過剰に糊塗することなく、その存在を求める「ジュリエット」たちに向けて真正面から歌いかける姿勢には好感が持てる。そもそも彼の「ジュリエット」たちは、卓越した歌唱力を彼に望んでなどいない。彼の声、彼の言葉、その息づかいとともにいられることをこそ、彼女たちはその“ロミオ”に求めているのである。
4.〈センチメンタル・ジャーニー〉松本伊代(1981)
作詞/湯川れい子,作曲/筒美京平,編曲/鷺巣詩郎
山口百恵の〈プレイバックPART2〉による「ポルシェ」の語とともに、松本伊代のこのデビュー曲における「伊代はまだ16だから」のフレーズが歌謡曲に波及させた衝撃は甚大である。ただし、音楽的に恵まれたその声の魅力とは裏腹に、もっぱら注目されんがためのこうした広告代理店的な仕掛けがシングル盤の基軸として先行する事態となったことは、彼女と歌謡曲にとって不幸な側面もあったかもしれない。
5.〈内気なジュリエット〉杉真理(1983)
作詞・作曲・編曲/杉真理
ジョージ・ハリスンを思わせるイントロの甘くポップなスライド・ギターは、鈴木茂による演奏。盟友である佐野元春のハモりもまたビートルズ的。イントロや間奏を含め、Aメロ、Bメロ、大サビに至るまで、旋律や楽曲の構成はほとんど完璧。唯一、A-Aaug-Dmaj7の響きのもとミ-ファ-ファ#と半音の進行が強調される肝心のサビ部分が弱い。この弱さがこれ以外の箇所の完璧さを浮揚させているともいえるが、杉が得意とするサビのキャッチーな抑揚をも備えていれば、この楽曲は歌謡曲の時代を画する決定的な傑作となっていたにちがいなく、いかにも残念である。
6.〈プロフィール〉倉沢淳美(1984)
作詞/売野雅勇,作曲・編曲/井上鑑
デビュー曲を用いて個人情報を積極的に開示していくスタイルは、松本伊代の先例はもちろん、鶴田浩二が自作した台詞を朗読する形式のもと1970年に発表された〈同期の桜〉の最後で、本名とともに身長と体重を明示したさまを応用したものという。しかしなにより、異なる旋律のふたつのサビでAメロを挟むかたちとなった井上大輔による作曲がすばらしい。
7.〈わがままジュリエット〉BOØWY(1986)
作詞・作曲/氷室京介,編曲/布袋寅泰
“暴威”の表記を“BOØWY”に刷新し、パンク調からメロディを重視する楽曲制作へと路線を変更したうえで、なによりプロデューサーにプラスチックスの佐久間正英を迎えたことが、この楽曲の実現に大きく寄与している。ここにはエンジニアとして小野誠彦も参加。これが最良の歌謡曲でなくていったいなにか。
8.〈まゆみ〉KAN(1993)
作詞・作曲/KAN,編曲/小林信吾,KAN
その音韻が「my-you-me」とも響きうる「まゆみ」の語の選択が秀逸。AパートからA’パート、さらにサビへと進捗するにつれ、段階的に深まっていったリヴァーブが、Fの和音で完結した大サビから最後のAパートに戻るときのB♭sus4を合図に唐突に効果を解除され、残響を喪失したKANの歌声と聴き手の鼓膜とがにわかに緊密に接触するとき、彼の歌唱は、いまこれを聴くひとりひとりに向けられた私的な囁きとなる。そこではもはや「まゆみ」とは、単に二人称代名詞“あなた”を代行する別の可能的な二人称代名詞にすぎない。
9.〈ナウ ロマンティック〉KOJI1200(1995)
作詞/KOJI IMADA,TOWA TEI,作曲・編曲/TOWA TEI
同時期の小室哲哉プロデュース作品群が女性の尖った甲高い声による歌唱を聴き手の耳において鋭く前景化していたのに対し、麻薬的な中毒性のあるこの楽曲は、今田耕司による重心の低い声の響きを巧みに操り、聴き手の身体に浸透していく。
10.〈ひみつのヒミコちゃん〉スイちゃん&コッシー&サボさん(2018)
作詞・作曲/池田貴史
筒美京平なきあと、歌謡曲の明日を担う作曲家としてもっとも期待されるべき池田貴史による、その圧倒的な着想の豊かさと能力の高さを誇る傑作。とりわけ、サビにおける「ひみつ ひみつ ひみつ ひみつの」の箇所への展開には、卓越した歌謡曲にのみ許された、胸が締めつけられるような切なさの感覚を禁じえない。
番外. ジョニー
童話やお伽噺の登場人物のものでも実在の著名人のものでもないにもかかわらず、アイ・ジョージの〈硝子のジョニー〉をはじめ、歌謡曲においてほとんど固定的な、定型的なイメージを纏ったうえでこれほど多用されてきた人名も、おそらくまたとない。
文:堀家敬嗣(山口大学国際総合科学部教授)
興味の中心は「湘南」。大学入学のため上京し、のちの手紙社社長と出会って35年。そのころから転々と「湘南」各地に居住。職に就き、いったん「湘南」を離れるも、なぜか手紙社設立と機を合わせるように、再び「湘南」に。以後、時代をさきどる二拠点生活に突入。いつもイメージの正体について思案中。