あなたの人生をきっと豊かにする手紙社リスト。23回目となる音楽編は、『言いたいことも言えないこんな世の中に』というテーマでお届けします! 歌には何かしら“メッセージ”が込められているものだと思いますが、時代によって、その内容や傾向は異なります。やっぱり歌は時代の鏡なんですねぇ。さあ、今回も、まずは部員さんが選ぶ10曲を。その後いつものように堀家教授のテキスト、堀家教授が選ぶ10曲と続きます。時代を代弁する名曲の数々、是非お聴きください!
手紙社部員の「もの申しちゃうぞ!」10選リスト
1.〈私たちの望むものは〉岡林信康(1970)
作詞・作曲・編曲/岡林信康
私が初めて聞いたのは、13年前、学生の頃に観た映画『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』の主題歌で、阿部芙蓉美さんがカバーされていたものなのですが、その後YouTubeを辿る中で本家に辿りつきました。就活に悩んでいたあの頃はもちろん、今も時々、行き詰った時に、思わず口ずさんでしまう曲です。「今ある不幸せにとどまってはならない まだ見ぬ幸せに今跳び立つのだ」。社会だけでなく、聴いている人自身の心を貫く、世代・時代を問わないメッセージソングだと思います。
(ゆめ)
2.〈防人の詩〉さだまさし(1980)
作詞・作曲/さだまさし,編曲/渡辺俊幸
悲壮感が尋常でなく、候補に挙げるのに少し躊躇しましたが、強いメッセージを伝える曲です。日露戦争の激戦地を描いた映画「二百三高地」の主題歌で、当時「海は死にますか」「山は死にますか」という言葉が印象的でした。万葉集の防人歌からとったものだそうで、家族のことを思いながら、祖国、ひいては家族のことを守るため、遠い地で防衛する昔の兵士たちと重ねたのでしょう。誰と言わず問いかけている詩で、人の生命(いのち)の重さ、限りある生命が戦争によって奪われていってよいのか、という反戦を訴えたものだと感じました。また映画と切り離しても、かけがえのない命、というものを考えさせられる曲です。
(はたの@館長)
3.〈ファイト!〉中島みゆき(1983)
作詞・作曲/中島みゆき,編曲/井上堯之
「ファイト!」。言わずもがな中島みゆきさんの名曲です。タイトルには相手を応援する「頑張れ!」と、自分に襲いかかる世の中の理不尽さと「闘え!」の2つの意味があると思います。改めて歌詞を見るとあまりにも深く強く悲しく辛く…様々なエピソードやワードが次々と展開していきます。以前中島みゆきさんのラジオに送られてきたリスナーさんのハガキが元になりこの曲が作られたと聞きました。世の中に溢れる理不尽な数々の出来事…どんなに頑張っても報われない努力…強いものに潰されそうになる自分…それでもぼろぼろになりながら川を上る魚のように「頑張って生きろ! 闘って生きろ!」心にパンチを喰らうようなストレートな叫びが聞こえてくる曲です。私が好きな歌詞は「諦めという名の鎖を身をよじってほどいてく」の部分。いくつになっても身をよじりながら闘って生きなくてはいけないですよね! 頑張ります。
(kyon)
4.〈卒業〉尾崎豊(1985)
作詞・作曲/尾崎豊,編曲/西本明
尾崎豊さんの曲はメッセージあふれる曲が多い中、若者のどこにも吐き出せない気持ちを歌った『卒業』をご紹介します。反抗や心の叫びは今回のテーマにピッタリです。先日仕事で、この歌の俺は何を思ったかアセスメント(客観的評価)しなさいという問いに、実は認知症の老人も同じ考えを持つのではという極論になりました。人は変わらない、抑えられる権力に反抗したくなるのです。尾崎豊さんの声と詩を改めて聞き直したくなります。
(三重のtomomi)
5.〈Young Bloods〉 佐野元春(1985)
作詞・作曲・編曲/佐野元春
1985年、国際青少年年のテーマソングとして発売され、自身初めてチャートのトップ10入りした作品だそうです。佐野元春さんというと「SOMEDAY」「ガラスのジェネレーション」など、どこか切なかったり尖った印象の曲が多いイメージですが、この曲はポップで聴きやすいです。色々争いが絶えない昨今、「♪冷たい夜にさよなら 争ってばかりじゃひとは悲しすぎる」の歌詞が大好きです。ここでどうでもいい知見をひとつ。松田聖子さんの「ハートのイアリング」はHolland Rose名義で佐野元春さんが作曲しています。
(れでぃけっと)
6.〈J.BOY〉浜田省吾(1986)
作詞・作曲/浜田省吾,編曲/板倉雅一,江澤宏明
ライブ映像でのイントロを聴くだけでぐっと気持ちが高まり、オーディエンスの心を真向に受け止めてくれる姿に心打たれます。37年前の「J.BOY」、どのフレーズも心に突き刺さりますが、「J.Boy 頼りなく豊かなこの国に J.Boy 何を賭け何を夢見よう」、その頃から日本はある意味豊かではなくなり、ずっと夢を持てない国のままなのかも知れません。だからこそ、こうして受け止めてくれる人を渇望しているような気がします。
(あさ)
7.〈サマータイム・ブルース〉RCサクセション(1988)
作詞・作曲/Eddie COCHRAN,Jerry CAPEHART,日本語詞/忌野清志郎
言いたいことを言ってくれたアーティストといえば、私にとってはザ・タイマーズ。ゼリーというジュリーみたいな名前の、忌野清志郎似のボーカルが、往年の学生運動家のような出たちで現れます。そして、原発銀座&唯一の再稼働原発を抱える県に住む私には、決して口には出せない内容を歌ってくれていました。これはチェルノブイリ原発事故の数年後に作られた、反原発・反原子力の曲です。かなりダイレクトな歌詞なので、発売中止や放送禁止などのトラブルはいろいろあったみたいです。私は大学の学園祭で、ザ・タイマーズのライブを観ることができました。母校は宗教系ではないので講堂の上手にはアリストテレス、下手には孔子の像がありました。その中央で、電気を使わないアコースティック楽器で歌うゼリーさんは真の思想家でロッカーで、未来を予言(&警告)する稀有な存在でした。原発が戦争の人質になってしまう今の時代を、ゼリーさんは、天国からどう見ていらっしゃるのでしょう?
(手芸部部長)
8.〈奇跡の地球〉桑田佳祐 & Mr.Children(1995)
作詞・作曲/桑田佳祐,英語補作詞/Tommy SNYDER,編曲/小林武史,Mr.Children
リリースされた当時はワタクシ、高校生くらいでした。友達やパートナーとカラオケでデュオを組んで歌いまくってました。いろんな人と一緒に歌える、いわゆる「エモい」歌という感じでしたね。そして当時は「阪神・淡路大震災」が起こったあたりの頃だったと思います。ガッツリと被災していた私は、どこか「終末」的な雰囲気も持つこの曲に親近感もあったりしていました。そして時は流れ。コロナ禍や戦争がどこかしらで起きている今聴いても通用するような歌詞に、グッと心を鷲掴みにされます。
「時代(とき)を駆ける運命(さだめ)はBlack 過去を巡らすメリーゴーラウンド」
「恋する日を待たずに消えてゆく 子供達の歌は何を祈る」
「黄昏が空間(そら)に映した異常な未来」
あの時も今も、もしかしたら何ひとつ変わってないのかもしれません。私もあなたも、この世界も。
(ゆうこスティーブ)
9.〈深夜高速〉フラワーカンパニーズ(2004)
作詞・作曲/鈴木圭介,編曲/フラワーカンパニーズ
今年で結成34年のロックバンド「フラカン」ことフラワーカンパニーズ。 2004年のリリースからじわじわと人気が広まり、2009年にはこの一曲だけを13組のアーティストがカバーしたアルバムが発売されるという異例の展開に。2013年以降はTVでも披露され、「生きててよかった」と繰り返すストレートな歌詞は、世代を超えた多くの人たちの心に突き刺さり、話題を呼びました。歳を重ねてもバンドを続ける、歌い続けるという彼らの決意は、もがきながら生き続けることへの葛藤と、そして希望を感じます。「もっともっと見たことない場所へ」道はまだ続いていく。
(マリー)
10.〈人生の扉〉竹内まりや(2007)
作詞・作曲/竹内まりや,編曲/山下達郎,センチメンタル・シティ・ロマンス
冬がまた来るたび、ひとつ年を重ね、ついにわたしは五十路!! 本当に信じられない速さで時は過ぎ去る。あの頃にもどりたいと思うこともあるけど、わたしは今がいい! 今が一番好き。人生って長いようで短い(でも短いようで長い⁉︎)。人生ってすばらしい。すべてのことに感謝。いつか人生最後の扉を開けるときがきたら、笑ってこの曲をききたい。
(あっこ)
言いたい事も言えないこんな世の中にもの申しちゃうぞ!
自由
時代の風潮にもの申す詩歌は、たとえば狂歌や落首、川柳など、日本にも古来より存在しました。ときに直裁的に、ときに諷刺的に、社会への、とりわけ統治機構への批判を込めた揶揄や諧謔による言語表現は、市井の人びとが抱いた不平や不満を代弁するものとして共感を獲得し、広く世間に流行する文句さえみられました。一方で、言論の自由が担保されない時代に批判され、嘲笑される為政者の側は、これを疎み、江戸期には政府が検閲を実施することもありました。
近代の自由民権運動に端を発する演説歌も、そうした言語表現の系譜に位置するものでしょう。米欧に渡航のうえ現地で順に興行していた川上音二郎の一座が、万国博覧会を開催中だったパリで実演した〈オッペケペー節〉(1900)の音源は、現存が確認される、日本人の声によって吹き込まれた最古の録音のひとつとされます。つまり、日本の歌謡曲は、きわめて政治的な主張の濃い、あるいはむしろ政治的な主義を唱えるための楽曲からはじまったともいえます。
そしてこの限りにおいて、いまでいうラップ調の体裁を主調とする〈オッペケペー節〉にとっては、リズムに乗せて吟じられる言葉すなわちその歌詞こそが重要であったことは疑いありません。ここでの言葉は上演の機会に応じて適宜更新されており、数種類の変奏を歌詞に確認することができます。現存する最古の録音については、その歌唱者は川上音二郎本人ではなく単に一座の座員のものとされていますが、いずれにしても壮士ら素人の演劇集団だった一座の売りものは、基本的には川上音二郎による自作自演でした。
自由民権運動は、専制支配を批判して憲法制定や議会開設を要求する過程で、集会の自由や言論の自由を重視しました。反町隆史が〈POISON~言いたい事も言えないこんな世の中は~〉(1998)と謳う一世紀前に、川上音二郎は、文字どおり「言いたい事も言えないこんな世の中」にもの申し、当局からの弾圧にもかかわらず自由のための毒を吐いたわけです。
こうした自由への渇望は、これ以降、体制による束縛への抵抗ないし反抗を正当化する根本的な原理と位置づけられます。歌謡曲においてそうした主張を前景化させたのは、1960年代後半に登場した、いわゆる“関西フォーク”の面々でした。人種差別に抗う公民権運動やベトナム戦争に抗う反戦運動に組み込まれたアメリカのモダン・フォークの潮流は、日本でも全共闘運動の時代に敷衍され、歌詞の言葉の政治的な重みは、リズムよりもむしろ旋律に乗せて詠じられるところとなったのです。
差別や貧困をめぐって〈山谷ブルース〉(1968)や〈チューリップのアップリケ〉(1969) 、〈手紙〉(1970)を発表した岡林信康などは、そうした文脈のなかでフォーク歌手として神格化されていきます。
ところが、〈それで自由になったのかい〉(1969)では資本主義が保証する「こぎれい」な「自由」の余地を、しょせんは「ブタ箱の中の自由さ」と嘯いてみせた岡林自身は、このような位置づけそのものに抗うかたちで、はっぴいえんどの演奏を迎えた〈自由への長い旅〉(1971)でついに「わたしがもう一度/わたしになるために」、「そこがどこになるのか」も「そこに何があるのか」も「わからないままひとりで」、他の誰のためでもなく自分のための「自由への長い旅」へと足を踏みだします。
人生
かつて〈私たちの望むものは〉(1970)において「私でありつづけること」を「私たちの望むもの」と諭した岡林信康は、けれど「いつのまにかわたしが/わたしでないような」気がした瞬間に、自ら「私でありつづけること」から逃れるように、そしてあらためて「わたしになる」ために「旅立」ったのです。すでにそこには、「私たちの望」んだ彼の姿勢はありません。
全共闘世代に「私たちの望むもの」だったはずの“大きな物語の死”という大きな物語は、“大きな物語の死”の死として時代に虚無をもたらします。その結果、自由への渇望はどこまでも相対化され、様式化され、陳腐化せずにはいません。
いまや「これこそはと信じれるもの」など「この世にあるだろうか」と反語的に確認し、「新しい海へでる」そのために「古い船をいま動かせるのは」もはや「古い水夫じゃないだろう」と看破した〈イメージの詩〉(1970)は、よしだたくろうのデビュー曲となりました。この「新しい水夫」は、〈今日までそして明日から〉(1970)にあって、とりあえず「今日まで生きてみ」たうえで、「自分」が「どこで どう変ってしまうか」も「わからない」状態で「明日からもこうして生きて行」くことになるその不確実さこそが、「私の生き方」すなわち人生であるとしています。
やがて彼が〈結婚しようよ〉(1972)で究極の私的催事としての「結婚」を題材としたように、〈傘がない〉(1972)の井上陽水もまた、「都会」にあって「自殺する若者」の増加や「テレビ」で論じられる「我が国の将来」よりも、「今日の雨」のなか「君の町に行」くための「傘がない」ことのほうがよほど深刻な「問題」だと説きます。ただし即座に「それはいい事だろう?」と彼は問うて、そのことすらたちまち相対化してしまいます。
「今日ですべてが終る」とともに「今日ですべてが始まる」ことを予感する〈春夏秋冬〉(1972)の泉谷しげるも、「となりを横目でのぞき」ながら、これをもって「自分の道をたしかめる」すべとします。
ここで歌謡曲は、アメリカ式の民主主義と資本主義に保障された経済的な成長のさなかに誕生した世代に委ねられます。しかし相対的な幸福を享受してきた彼ら彼女らは新しい仮想敵を設定できず、その闘争をいっそう形骸化させていきます。おそらくそれは、森田童子が〈ぼくたちの失敗〉(1976)で示したように、「変れないぼくたち」にとっての蹉跌にほかなりません。
「今はこんなに悲しくて」も、とにかく「今日の風に吹かれ」ていれば、いつかどこかで「生まれ変」れるものと悟った〈時代〉(1975)の中島みゆきによる励ましにも、無力感が漂うことは不可避です。〈大空と大地の中で〉(1977)の松山千春ならば、「果てしない大空と 広い大地のその中で」与えられた状況を甘受したうえで、ようやく「力の限り生きてやれ」と忠告するところでしょう。
〈防人の詩〉(1980)で「わずかな生命」について「きらめきを信じていいですか」と質したさだまさしは、さらに〈生々流転〉(1981)において、「ささやかでいいから」、「あたりまえに」、「素直に」、「ひたすら生きてゆきたい」と希います。
なるほど、すでにそこには「どうにも変わらない」政治的な安定が確立されていました。学生運動に遅れ、むしろ子どもの冷徹な視線でこれを眺めて育った次の若者たちの人生は、退屈なまでに波乱なき磐石な素地を保証されたわけです。
政治性は歌詞からおよそ脱色され、形骸化から透明化へと様相を変容させていきます。旋律に乗せられてきた言葉から揮発した重みは、リズムそのものへと、つまるところロック調のビートの強さへと沈澱していきます。
世代
事実、佐野元春は、〈ガラスのジェネレーション〉(1980)のなかで皮肉まじりに「さよならレヴォリューション」と送辞をたむけています。共通の仮想敵を想定した仲間を持たず、連帯する共同体にもなじまない「ひとりぼっち」の彼は、もっぱら「つまらない大人には なりたくない」と叫ぶばかりです。疑うこともその仕方も知らない「悲しい」までの純粋さと無垢さをもって世界と対峙するとき、ガラスのように脆弱で限りなき透明さをたたえた彼らの世代は、演奏が響かせるビートにあわせて、その「ドア」をひとりきりで「knock」するのです。
〈ガラスのジェネレーション〉の編曲を担った伊藤銀次の作曲による〈BROKEN GENERATION〉(1983)において、伊藤さやかの歌唱は、自らの世代を「ガラスのジェネレーション」の延長線上に配置し、「ガラスの心が粉々になっ」た「Broken Generation」と称しています。それは「何でもあるけど 自由がない」世代のことであって、すべてはあらかじめ「コンベアーに乗せられ」、行方を決められているにもかかわらず、「どこに行くのか」本人には「わからない」と悲嘆します。
それでもなお、「自由がない」と表明してしまうことそれ自体の不自由さについて、彼女はあまりにも無防備かつ無頓着です。要するに、「何でもあるけど 自由がない」と断定する言説や思考そのものが、実のところあらかじめ「コンベアーに乗せられ」た予定調和的な「レッテル」であり「押しつけの夢」にちがいなく、そんな仕草など、とうの昔から反抗者を表現する凡庸な鋳型として広く流通しているわけです。
加えて、佐野元春の提示した「ひとりぼっち」のありようではいかにも「淋しすぎて」耐えきれない彼女は、この「Broken Generation」を、彼女ひとりのものでなくあくまでも「We」のものと捉え、聴衆の共感と共有を前提します。
歌詞の言葉の政治性は、ここに至って「風にとばされ」かねない、ほとんど空気のごとき軽さを装います。というのも、作詞家の手に委ねられ、自作自演であることを放棄した歌詞の言葉とは、もはや歌唱する主体ではなく詞作する主体のそれであって、その限りにおいてまぎれもなく「押しつけの夢」にちがいないからです。そしてこの風潮は、本田美奈子が歌唱した〈Oneway Generation〉(1987)でいよいよ顕著となります。作詞者の秋元康は、そこで彼女に「僕」と自称させているからです。
さらには「自分の生きかた」や「自分の道」について「見えない時ってあるよね」と聴衆に同意を求めつつ、だからこそ「ひとりで何かを探して」いるはずが、なぜかそんな迷いを「大人はわかってくれない」と非難することによって、事態を「僕等」と「大人」のあいだの世代的な隔絶に仕立てあげます。楽曲の聴衆は、ここで「僕」の側に「等」として加担する共犯的な関係性のうちに組み込まれることは不可避です。
そうして「僕等」は、「サヨナラのかわりに」わずかばかり「手に入れ」ることのできた「小さな自由」と「大きな悲しみ」、および「中くらいの思い出」を抱え、「夢だけを信じて」、「青春の終点」へと「向か」います。この旅に「地図など必要ない」ことは明らかです。なぜなら、たとえ行方は「知らないどこか」であったとしても、あらかじめそこにはベルト・コンヴェアが敷かれ、「戻れない片道のチケット」を携えて「プラットホーム」で「次の列車を待って」さえいれば、さしたる苦難もなく「終点に 着」くことは約束されているからです。
ここで声高に謳われ享受されるもの、それは、せいぜいが「少し間違ってもいい」程度の、毒にも薬にもならない「小さな自由」なのです。
地図
〈15の夜〉(1983)では「心のひとつも解りあえない大人達をにら」み、「誰にも縛られたくな」くて「自由を求め続けた」ものの「人恋しく」、ただ「盗んだバイクで走り出す」だけで「自由になれた気がした」という尾崎豊は、しかしそもそも「自分の存在が何なのかさえ 解らず震えてい」ながら、いったいなぜ「大人達」と「解りあえ」るなどと期待したのでしょうか。
あいかわらず「口うるさい大人達のルーズな生活に縛られても」、ようやく「少しずつ色んな意味が解りかけて」なお「何のために生きてるのか解らな」い〈十七歳の地図〉(1984)の「俺」は、ただし「親の背中にひたむきさを感じて このごろふと涙こぼし」た自分が、いまや「半分大人」となりつつあることを知ります。あれほど嫌悪し、敵視していた「大人達」の模様に彼の「心の地図」は覆われはじめているわけです。
事実、〈卒業〉(1985)の尾崎豊は、「早く自由になりたかった」はずがこれが「仕組まれた自由」であったことに、そして「信じられぬ大人との争いの中で」彼らもまた「かよわき大人」であることに「気づ」き、「本当の自分に たどりつ」くべく、こうした「闘いからの 卒業」をついに宣言します。
そのうえで、依然として「俺を縛りつける」なにものか、「何度自分自身 卒業すれ」ども彼を束縛する不自由さが屹立します。おそらくそれは時間であり、それこそが人生なのです。
尾崎が「半分大人」と形容した「十七」のころの「心の地図」のありようは、のちに桜井和寿によるバンド名のうちに示唆されるところとなります。
「とどまる事を知らない時間の中」に囚われた〈Tomorrow never knows〉(1994)の「僕」は、これが「誰も知る事のない明日」への「長い旅路」であって、その過程では「争い」も「痛み」も「避けて通れない」ような、にもかかわらず最終的には「勝利も敗北もないまま」の「孤独なレース」であるものと覚悟します。さらにそれを前提に、「心のまま」に「夢を描」くにも「少しぐらい はみだしたっていいさ」と遠慮する態度には、あらかじめ自ら人生のかたちを見透かしてしまったすえの諦念さえ覚えます。
〈終わりなき旅〉(1994)でも、「生きる為のレシピなんてない」はずのこの「終わりなき旅」の途中で、「ガキじゃあるまい」に「僕」は「また答え探してしまう」のでしょう。
CRAZY KEN BANDは、ある人生を占める時間の束縛にきわめて意識的です。
「俺の話を聞け!」と明確な主張を発する〈Tiger & Dragon〉(2002)ですが、その「話」の内容については、「お前だけ」が「聞」くことのできる「本当の事」である以外の情報をなんら教示していません。しかもそれは、「5分だけでも」、なんなら「2分だけでも」終えられる「話」だといいます。
楽曲の実質的な再生時間は4分17秒ほどと、すでに「5分」の「話」を完遂するための時間を十全には配分されておらず、あまつさえ「5分だけでもいい」のフレーズが歌われる段階では残り時間が3分12秒しかないことに焦ったのか、「2分だけでも」と譲歩する段階で残り1分52秒まで追いつき、どうにか「話」を「聞」かせ終えるだけの余地を担保しています。しかしながら、結局のところ最後の1分を後奏に費やすためにほどなく口は噤がれてしまい、とうとう誰もここで「俺の話」を「聞」くことは叶いません。
つまり「俺の話」の内容など最初から「どうでもいい」のです。「俺の話を聞」かせることを口実に、「お前」をここに「急いで来」させること、そうして耳を傾けた「お前」の時間を、聴衆の人生を、ほんの「5分だけでも」、なんなら「2分だけでもいいから」支配し、その音響で占めてみせること、これこそが、〈Tiger & Dragon〉の発揮する唯一の政治性なのです。
堀家教授による、私の「もの申しちゃうぞ!」10選リスト
1.〈今日までそして明日から〉よしだたくろう(1971)
作詞・作曲・編曲/吉田拓郎
全共闘を中心とした学生運動がその暴力性の過激化と日米安全保障条約の自動延長をもって急速に失調し、日本における政治の季節は終焉を迎えた。眼前の強大な仮想敵とみなしたものが幻想だった事実ににわかに直面し、いわば梯子をはずされた当時の若者たちの熱量も急激に冷め、あとには虚無ばかりが残った。そうして幕を開けた1970年代は、だから彼ら彼女らが自分自身をみつめなおし、そのかたちを見定める作業からはじまった。なるほど、そのように「私は今日まで生きてみ」たものの、それはひとつの「私の生き方」の試行にすぎなかったわけである。「そして今」、彼の行方には、「自分というもの」が「どこで どう変ってしまうか」も「わからないまま生きて行」かねばならない不確実な「明日」がつづいていく。
2.〈世情〉中島みゆき(1978)
作詞・作曲/中島みゆき,編曲/福井峻,吉野金次
そんなふうに「いつも 変わってい」く「世の中」にあっては、結局のところ「頑固者だけが 悲しい思いをする」。彼ら彼女らは、いわば「時の流れを止めて 変わらない夢を」ずっと「見たがる者たち」なのだから、たとえば社会や体制の変革を声高に主張する「シュプレヒコール」そのものが、彼ら彼女らと「戦うため」の「波」や「流れ」であることはいうまでもない。つまりここでは、「変わらない夢」こそが「シュプレヒコール」にとっての仮想敵となり、「変わってい」く「世の中」の「波」やら「流れ」の圧力に押され、動くことを強いられている。しかし「シュプレヒコール」が希求する変革それ自体が、実際には「変わらない夢」として描かれた理想なのであって、それが実現されるやいなや、変革はたちまち体制とならずにはいない。要するに、「頑固者」と「シュプレヒコール」とは、同床異夢ならぬ異床同夢、すなわち異搨同夢のただなかにある。
3.〈ガラスのジェネレーション〉佐野元春(1980)
作詞・作曲/佐野元春,編曲/佐野元春,伊藤銀次
それゆえに、1980年代に登場する「ガラスのジェネレーション」は、もはや「レヴォリューション」を信じてさえいない。誰もが「どうにも変わらない」限りにおいて、それは「見せかけの恋」であり、そこにあるのは「君の幻」にすぎない。そして変革に、革命に「さよなら」を告げた彼が、「今夜」まさに「悲し」みとともに「この街」で「knock」するもの、それは「ひとりぼっちのドア」だ。おそらく「大人」への入り口と思しきここで彼は、誰を非難するでもなく、ただし自分だけは「つまらない大人には なりたくない」と叫ぶ。
4.〈BROKEN GENERATION〉伊藤さやか(1983)
作詞/Heart Box,作曲/伊藤銀次,編曲/後藤次利
換言すれば、「自由」以外なら「何でもある」世界を生きる彼ら彼女らは、あらかじめ「Heart Break 抱えて生まれ」てきた「Broken Generation」なのである。「傷つ」くばかりの「ガラスの心」で「今夜も街」をさまよいながら、「何かやらなきゃ」いけないとの焦りはあるものの、ではいったい「どうしたらいいの?」と問うよりほか、彼女にはなすすべがない。ここでは「夢」さえが「自由」には描けず、彼女はもっぱら「押しつけの夢しか みられない」。「明日の事」も、「どこに行くのか」も「わからないまま」、それでもなお彼女は「ひとりぼっち」の自らを「We」と称して複数化する。
5.〈Oneway Generation〉本田美奈子(1987)
作詞/秋元康,作曲/筒美京平,編曲/大谷和夫
もちろんそんなことは「大人はわかってくれない」。それどころか、「周りを気になど」する余地すらない「僕等」は、たとえ「自分の生きかた」など「見えない時ってある」としても、それぞれが「今 ひとりで何かを探し」、また「今 知らないどこかに向かって」いかなければならないだろう。「サヨナラのかわりに」ようやく「手に入れ」ることができた「小さな自由」のもとでは、「もう 地図など必要ない」はずだから、「少し間違っても」、「遠くの夢を」、「夢だけを信じ」てこの「自分の道を」進んでいくのみだ。
6.〈いつか きっと〉渡辺美里(1993)
作詞/渡辺美里,作曲・編曲/石井恭史
たとえばバブル経済に支配された「時代という名のゆりかご」のなかで、ゆらり「ゆられてぼくらは大人にな」った。にもかかわらず、時代を共有してもっとも近接しているべき「君とぼくの二人の距離」さえが、「追いかけても 追いつけない」遠さを維持している。いまや「ぼく」は、どこまでも「自分」の仕方で「この街で戦いながら」、あくまでも「自分の歩幅で走りだす」ことを、要するに「自分らしく」あらんことを、あるいはむしろ「自分らしく」ならんことを夢想する。「きっと」それは、「自分」の、「自分との」、「傷つ」くことも厭わない「戦い」にちがいない。その「戦い」が、「きらきら」の「イオン」をとおして「汚れた宇宙」を浄化していく。
7.〈Tomorrow never knows〉Mr. Children(1994)
作詞・作曲/桜井和寿,編曲/小林武史,Mr. Children
ここでも「時間」は「とどまる事を知ら」ず、そのなかでいくつもの「帰らぬ夢」が「幼な過ぎて消え」ていった。「そんな風にして」また「今日も回り続けている」この「世界」にあっては、「今より前に進む為」の「争いを避けて通れない」だろう。なぜなら「明日」のかたちは「誰も知る事」がないからである。おそらくそれは、「夢」と自身とのあいだの葛藤でもある。「生き」ることとは、つまるところこの「長い旅路」において、「勝利も敗北もないまま」に「癒える事ない傷み」もろとも「孤独なレース」を「続」けることにほかならない。そしてそれだからこそ、「夢を描」くには「少しぐらい はみ出したっていい」のである。
8.〈笑えれば〉ウルフルズ(2002)
作詞・作曲/トータス松本,編曲/ウルフルズ,伊藤銀次
したがって、「子供の頃から」ずっと「同じ夢ばかりを見て」いても、「大人になって」なお「立ち止まったり」することもある。「すべてがうまく行くはず」だと「信じているのに」、「汗をかき 恥をかき」ながら「転がりつづけ」てなお、「誰もが みないつも 満たされない思いを」どこかに「抱いたまま 歩き続けてゆく」だけだ。それでも「とにかく笑えれば」、どれほど「情けない帰り道」であれ、ただ「今日一日の終わりに ハハハと笑えれば」。百年紀の節目などなんの意味もない。千年紀の節目とも無関係に日々はつづく。ただそうした「答えのない毎日」の、きまって「最後に笑えれば」。
9.〈ever since〉SAYAKA(2002)
作詞/SAYAKA,作曲/奥田俊作,編曲/松岡モトキ
この限りにおいて、彼女の蹉跌は、たぶん「どんな夜」だって「ひとりじゃない」と信じ、「一緒に始め」られるものと期待してしまったことにあるのかもしれない。「この街から 光は姿を消して」しまって「道が見えな」くなった「その夜」、「歩き出せずにいた」彼女は、たとえ「壊れかけた夢」であれ、それだけを頼りに「ずっともう前だけを見て 進んでいけば」よかっただろうに、どうしても「あの夜」に「つぶや」かれた「君の言葉を忘れられな」かった。「どんなものにだって 耳をすまして歩」き、「あらゆるもの」に「気づくことができるように」と「願っ」た彼女は、しかし同時にそれを「失わないように」とも望んでしまった。「どんな雑踏も 時代も」、「ほんの小さな勇気」とともに「生きていこうと思」った彼女の若さもしくは弱さは、仮に「あらゆるもの」の存在に「気づくことができるように」なったとしても、「きっと」そのことを「確かに何かの意味を持って」いるせいだと信じ、この「意味」に「強」さの裏づけを期待した。たとえば「僕らのあいだを駆けぬける“夜”」にさえ。
10.〈Tiger & Dragon〉CRAZY KEN BAND(2002)
作詞・作曲/横山剣,編曲/横山剣,小野瀬雅生
なるほど「俺」は「お前」を呼びだした。なるほど「俺」は「俺の話を聞け!」と「お前」に叫ぶ。なるほど「俺」は、「お前だけに本当の事を話」そうとしている。「5分だけでも」、いや「2分だけでもいい」。ところで彼は、いまさら「お前」になにを「話」そうというのか。おそらくそこに意味はない。重要なこと、それは、ここで「俺」が披瀝するだろう説教だの文句だのといった言葉の内容などではなく、「俺」が「お前」に「話」すという行為、「お前」に「俺の話を聞」かせるという状況なのである。もはや「お前」が誰であってもかまわない。この行為と状況をめぐって「俺の中で俺と俺とが闘う」とき、いまや「お前」はほんの「月みたいな電気海月」にすぎない。
番外.〈とんぼ〉長渕剛(1988)
作詞・作曲/長渕剛,編曲/瀬尾一三,長渕剛
「俺は俺で在り続けたい」という陳腐な「願」いを抱えて「花の都“大東京”」にぶつかり、「ねじふせられ」、「それでもおめおめと生きぬく」自分の「半端」さを「恥ら」い、「東京のバカヤロー」を「愛し」、「憎」む。風車と対峙するドン・キホーテにも劣らぬ彼の無自覚な戯画性ゆえに番外とした。
文:堀家敬嗣(山口大学国際総合科学部教授)
興味の中心は「湘南」。大学入学のため上京し、のちの手紙社社長と出会って35年。そのころから転々と「湘南」各地に居住。職に就き、いったん「湘南」を離れるも、なぜか手紙社設立と機を合わせるように、再び「湘南」に。以後、時代をさきどる二拠点生活に突入。いつもイメージの正体について思案中。