グラフィックデザイナー/写真家・岡崎直哉さんにお話しをうかがいました

朝もやに包まれた幻想的な富士山や東京タワーなどのランドマークから、公園にたたずむ愛嬌あるパンダや、何気ない日常の街並み、静かな青い森や湖まで、写真家でデザイナーである岡崎直哉さんの写真を目にすると、 “旅へ出かけたい欲”がむくむくと湧き上がってきます。

岡崎さんは、日本各地や海外を旅して写真を撮り、暗室でフィルムから紙焼きし、それをもとに小冊子「カラートラベルガイド」やポストカード、レターセット、フォトパネルなどの作品を制作しています。しかも、これらの作品は、断裁から角を落とす作業、箱づくりまで、すべて手作業で行っているというから驚きです。

「自分の手を動かして何かをつくり出す。こんな楽しい工程を誰かにお願いするなんてもったいない!」と笑う、岡崎さんのものづくりの世界を覗いてみましょう。





建築科の卒業制作をきっかけに、なぜかグラフィックの道へ

物心ついたときから、岡崎さんはずっと絵を描いているような子どもでした。「幼稚園の頃、みんなの輪に溶け込むのが苦手で、いつも園長先生や工作の先生の部屋で絵を描いていました」。

家に帰ってからも、電車や恐竜の図鑑をひたすらに模写していて、夢中になるあまり両親に止められるほどだったそうです。

中学では漫画家に、その後は家具デザイナーに憧れ、高校では建築を勉強しました。自分の理想の家を設計するという卒業制作で、間取りを製図し、模型をつくり、最後にそれらをまとめる表紙をつくるとき、岡崎さんは単にタイトルと名前を書くだけでは物足りず、なぜかマーカーでテキスタイルのような柄を描き、グラフィックデザインを施しました。

「卒業制作の最後の最後に描いた、建築とはまったく関係のない表紙のデザインが、つくっていて一番楽しくて。建築ではなく、グラフィックデザインの専門学校に進むことにしたんです」





憧れの写真家と仕事をした経験が転機に

専門学校を卒業後、東京にあるCDのジャケットなどを手がけるデザイン事務所で4年、さらに音楽や映画の仕事を多く扱うデザイン事務所で4年経験を積んだ岡崎さん。日本各地を巡り撮りためた写真で、小冊子をつくり始めたのは、最初のデザイン事務所を辞めた24歳のころです。

「当時、デザインの世界では、ヨーロッパのデザインをアレンジしてとり入れるのが流行っていて、ぼくはそれに違和感がありました。日本に暮らしているのだから、日本のいいものを生かした面白いものをつくりたいと、自分のスタイルを模索していた時期でもあり、勝手に金閣寺のパンフレットやジャバラ折りの写真で見せる旅案内などをつくって、年賀状がわりに配ったりして。それが本当に楽しかったんです」

写真に興味を持ったのは、当時、渋谷系のアーティスト(ピチカート・ファイヴやコーネリアスなど)のジャケットを撮影していた、憧れだったカメラマンの野村浩司さんと一緒に仕事をしたことがきっかけでした。

「スタジオに写真を受け取りに行くと、『ちょっと待って』と野村さんがコーヒーを淹れてくれて、飲みながら待っていると、暗室でプリントした写真を持ってきて『この色味でどうかな?』と見せてくれるんです。『もう少し明るいほうが……』というと、それに合わせて焼き直してくれて。そんなデジタルにはない、フィルムならではのやり取りを経験できたことが、写真を本格的に始める転機になりました」





つくり上げる過程が一番楽しい

当時から岡崎さんはフィルムカメラで写真を撮影し、デザイナーとして独立した28歳ごろからは、レンタル暗室で自らプリントするように。今でも、フィルムカメラ(愛機は二眼カメラ・Rolleiflex)で撮影を続けています。






「ぼくがフィルムの写真に惹かれる大きな理由は、暗室で自分の手を動かして、ああでもないこうでもないと色味を調整できるところ。写真を始めた当時、もうデザインは完全にデジタルに移行し、それまで手で切って貼って版下をつくっていたのが、Macでデータを作成して印刷所に渡すようになりました。それだと、つくっている手応えがあまり感じられなくて。その点、暗室で写真をプリントする作業はとてもアナログで、ものづくりをしている実感が持てるんです」




撮り下ろした写真で紙雑貨をつくり始めたのも、「自分の手を動かしてものをつくりたいというのが、最大の理由だと思う」と岡崎さんは振り返ります。

「子どものころ、夢中になって絵を描いていたのは完成するまでの過程が何よりも楽しいから。ところが、たとえばポストカードをつくるとき、パソコンでデータを入稿してでき上がるのを待つだけだと、一番楽しい完成までの道のりが味わえないんです。だから、ぼくは自分でできるところは、すべて自分でやりたいと思っています」







まったく売れなかった初参加の「もみじ市」

こうしてフィルムで写真を撮る楽しさと出会い、小冊子などの作品づくりを始めた岡崎さんにとって、もう一つ大きな転機は、「もみじ市」に出店したことだといいます。



2010年、自身初の写真展(台湾にて)



「当時、手紙社で働いていたセソコさんが、ぼくが年賀状がわりに配っていた小冊子を目にとめてくれて、『これをもみじ市に出しませんか?』と声をかけてくれたんです。けれど、その冊子は、ぼくは自分がつくりたいから、楽しいからつくっていただけで、誰かに買ってもらおうとは思ってもいなかった。だから、どうしようかすごく悩みましたが、せっかくのチャンスだからと挑戦したんです」

岡崎さんが、もみじ市に初めて出展したのは2010年のこと。その結果は、まったくと言っていいほど売れなかったそうです。

「1年目だけでなく、2年目も思うように売れなくて。それでも、自分がいいと思うものを信じて、つくっては出展して、つくっては出展してを繰り返しているうちに、ポストカードを並べるようになったころから、だんだんといろんな方が手に取ってくださるようになったんです」



もみじ市初出展のときに並べた小冊子



見たことのない景色、作品を目指してこれからも

まだ行ったことのない場所を訪れるのが大きな喜びだという岡崎さんは、国内外を旅して写真を撮ることもずっと続けています。写真を始めたころは古い建物やレトロな看板などに惹かれることが多かったそうですが、ここ数年は、山だったり、海だったり、落ち葉や野花だったり、自然のものを目にしてシャッターを切ることが増えてきました。

「自分でもなぜだかわからないのですが、人工的なものよりも自然なものを、最近は撮りたいという気持ちになっています」




旅に出かけるとき、岡崎さんはゴールだけを決め、それ以外はノープランで出かけるようにしています。現地での移動は徒歩が基本。シャッターを切りたくなる被写体を求めて、街をひたすら歩き続けます。

「当初は、旅に出る前にどこを巡ろうかといろいろ調べていたのですが、そうすると事前に目にした写真に影響を受けたり、その場所を訪れたときの感動が薄れてしまったりするんです。だから、もう何も調べないようにしています。行った先で初めて目にして自分がいいと思ったものを切り取り、移動してまた撮影しての繰り返し。このスタイルにしてから、写真を撮るのがとても楽しくなりました」




もちろん、思うような撮影対象になかなか巡り合えないこともあります。先日、大阪を訪れたときは、納得のいく写真が撮れなくて、撮影場所を探して歩き回り、気づいたら1日で過去最高の4万歩を歩いていたそうです。

「やっぱり写真も調子のいい悪いがあって、調子がいいときは、シャッターを切りたくなる撮影ポイントにどんどん巡り合えるのですが、調子が悪いとなかなか見つからない。撮影後のプリントもそう。自分がイメージしている色や明るさが出せずに悶々とするときもあります。常に壁が手前にあって、どうやったら乗り越えられるか試行錯誤しながら、少しずつ登っては考え、登っては考えの繰り返しですね」

そしていつか、これまでに撮影した旅の写真で、写真集をつくるのが大きな目標。今はその写真集を、出版社を通して出すのがいいのか、やっぱり自分らしく一冊一冊ハンドメイドして、手売りしていくのがいいのかを悩んでいるといいます。

「自分の手でつくるのは間違いなく大変ですが(笑)、写真ごとに紙質を変えたり、サイズの違うページを挟んだりと自由にできる。そんな写真集がつくれたらきっと楽しいだろうな……と妄想しているんです」




自分の撮りたいもの、つくりたいものに純粋に向き合い、自らの手を動かし、足で移動しながら写真を撮り、作品をつくり続ける岡崎さん。まだ訪れたことがない場所、目にしたことのない景色はたくさんあります。岡崎さんは各地を旅して巡りながら、これからもずっと写真を撮り続けます。








岡崎直哉(おかざき・なおや)
栃木県足利市出身。CDジャケットや映画のポスターなどを手がけるグラフィックデザイナーであり、自ら暗室に通い銀塩カラープリントの美しさを追い求める写真家。愛機の二眼カメラ・Rolleiflexを第三の眼としてブローニーフィルムに世界を切り取る。その視点が捉えるのは、まるで心象風景のように現れる静謐な景色。

http://color-travel-guide.com/
Instagram:@okazaki_naoya